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韓国スタディツアー2008に参加して~ これからの国際交流協会の役割を考える

冨江 真弓(財団法人とよなか国際交流協会)

  実は、私はこのような仕事につきながら、恥ずかしながら、今回のスタディツアーが初めての韓国であった。関空から、飛行機に乗り1時間半、眼下に広がる景色は日本の田園風景に似ていて、空港に降り立ってからは、同じアジア人の顔をして異なったことばを話す人たちがいる空間に少し不思議な感覚で、外国に来た(!)といういつもの感覚とは少しちがっていた。そして、よく言われる「近くて遠い国、韓国」というフレーズが頭に浮かんだ。外国人支援の現場を訪問し、自分の仕事の意味の再確認と、これからについて考える、私の韓国スタディツアーが始まった。

■安山(アンサン)市~「国境のない村」


 日本では90年に入管法が改正され、多くの日系人や、安価な労働力としてアジアの国々から多くの外国人を受け入れている。また、国際結婚は今や16組に1組で、在日外国人人口は毎年増加している。そんな日本の隣の韓国でも、日本のペースをはるかに超えるスピードで外国人が急増している。その最前線のひとつが、このスタディツアーで訪れたアンサン市である。事前の資料に同市ウォゴクホラ地区の住民の70%が移住労働者であると書いているのを見て驚いた。実際訪れてみると、まちにはベトナム語、中国語、タイ語などの外国語の文字で書かれた看板のお店(食材店・レストラン・カラオケ?)がいたるところにあった。
 私たちはまちの中心にある、安山移住民センター(政府系団体)を訪れ、行政として移住者のために行っている日本語教室、通訳サービスなどの支援事業の説明を聞いた。その後、このセンターから歩いてすぐの場所にある安山移住民センター(NGO)では、センター長の牧師さんによる話と、スリランカからの在留資格のない母子と、結婚で入国しアンサンに逃れてきたベトナム人女性の話を聞いた。地域にある2つの移住者支援をしている組織の話を聞きながら、これらの組織の関係性や役割分担などはどうなっているのかが気になった。
 なぜなら、今まさに日本でも、国際交流協会の役割が問われているからだ。時間の関係上、その話まで聞くことはできなかったが(牧師さんの話が時間の大半を占め、まちあるきの時間も削られてしまったのが残念だった)、信頼関係とある一定の緊張関係を持ちながら、行政に利用されるのではない自立性を持った市民活動が、社会を変えていく上でこれから求められるのではないかと感じた。行政に任せたり、要求するだけなく、市民であることで気づいたり行動できることで、行政を動かしていったり協働することが、多様な背景を持つ住民が安心して暮らせる地域づくりを推進していくのではないだろうか。そのような市民活動を育てていくことが、国際交流協会の役割のひとつとして重要だと考えさせられた。


安山移住民センターの建物


安山市が運営している安山市外国人住民センターが入っている新築ビル

■ヨングァンとクンサン市~NGO「韓国女性の電話」


 梨花女子大学での国際シンポジウムを終えた後、私たちはヨングァン市とクンサン市にある「女性の電話」(NGO)をそれぞれ訪問した。ヨングァンは、農漁村地域にあり全国的にも国際結婚率が高いまちである。ヨングァンの「女性の電話」では、事務局スタッフとして働いているモンゴル人女性が話をしてくれた。彼女は、ここで行われた「移住女性リーダーシップ養成講座」の受講生で、今は支援する側のスタッフとして大きな役割を担っていた。この講座は、多文化女性として生きる、コミュニケーション力、リーダーシップとは何か、自分を知る、自分の人生の主役になる、などをテーマとした全8回の講座で、多くの受身だった移住女性がエンパワメントされ変わっていっているそうだ。今、モンゴルの彼女は、小学校でモンゴルの文化を子どもに教えに行っている。
 韓国人女性のスタッフが、「私たち韓国人が支援サービスをつくってそれをひっぱってしまっているのが課題です。当事者が主人公にならなければならない。外国人女性がつくるセンターにしていきたい。それがこの講座を行う目的のひとつです」と、まとめた。人を支援するとき、支援することで逆に当事者の力を奪い、自立を損ねてしまうことがある。韓国でその視点を持ちながら、活動が行われていることを知ることができたことによって、自分の関わっている仕事でもその視点を常に意識し、事業を組み立てていくことが重要であると再認識した。
 今回のスタディツアーで訪れた現場では、とよなか国際交流協会とよく似た事業をいくつも目にし、自分たちの行っている方向性はこれでいいのだと確認できた。しかし、ちがう点もあった。ひとつは人権の視点だろう。「韓国女性の電話」で感じた女性としての「連帯」から始まった活動。日本での外国人支援はまだまだ支援の側面が強く、そこには日本人の当事者性が抜け落ちていることが多い。多文化共生ということは、日本人側が享受しているものを手放す覚悟から始めなければならないのではないか。その覚悟を持てる人の育成(マジョリティの変革)がこれからの国際交流協会のもうひとつの大きな仕事だろう。


韓国で感じたこと

山下 隆史(財団法人とよなか国際交流協会)

■出発前


 韓国はこれまでに二度、旅行で行ったことがあったものの、スタディツアーのような形で訪れるのは初めてでした。旅のしおりからスケジュールは分かるものの、どんな感じで進むのかイメージが湧かず。旅行で知った韓国とは違う側面をちょっとは知ることができればいいなと思っていました。ただ、韓国語が分からないので現地で外国人や女性の支援活動をしているNGOとどこまで交流することができるか(もちろん、スタディツアーに通訳者はいるのですが)、移住女性に関する国際シンポジウムも内容的にどこまでついていけるかと、不安もあったのですが。完全に消化はできなくとも、日本に戻ってから仕事に生かせるように情報や仕組み、制度を少しでも学んで帰れたらいいなと思っていました。

■当事者に寄り添うこと


 最初に書いたように、韓国に行く前は「少しでも多くのことを学ぶぞ」「せっかく韓国まで行くのだから、しっかりお勉強して帰るぞ」という気持ちが割とありました。スタディツアーで安山市(ソウル郊外で移住労働者が多い地区)の「国境のない村」(移住労働者とその家族が集住する地域)、霊光(全羅南道。国際結婚の割合が高い)と群山(全羅北道。国際結婚の割合が高い)を回り、それぞれの地域で活動しているNGOや団体から話を聞く中で、改めて知識や情報の「お勉強」ではなく、その場で感じたことを大事にしないといけないなと思うようになりました。
一つは群山で「女性の電話」を訪れた時に感じたこと。交流会の時の「社会的不平等の構造の中で生きているしんどい人を救済したい」というスタッフの言葉のとおり、ここは女性の電話相談にとどまらず、人身売買された女性の救出も行ったりしている団体です。実際の救出には危険を伴うのですが、社会と向き合い、改善を求めて力強く働きかけている姿が、とても印象的でした。
 そうやって積極的に介入した後ですが、基本的には相談やグループセラピーなど、当事者が自分と向き合ったり、人とのつながりを少しでも豊かにできるようにサポートします。当事者が自立していけるように、周りは環境や条件の整備をする。あくまで当事者が力を回復していく過程を支えるという姿勢に「支援」とは何かということを考えさせられました。もちろん、「最終的には経済的な面でかなり厳しいものがある」とのことでしたが、それについてはちょっとずつ仕事を生み出すなど、あくまで本人が奪われた力を本人が取り戻していく過程をサポートしていました。
 これと同じことを霊光の「女性の電話」でも感じました。霊光でもいろいろな取り組みをしていたのですが、一番はっとさせられたのは「リーダーシップ向上プログラム」というものです。この講座は8回連続の講座なのですが、それぞれの回は次のようなタイトルになっています。

■「リーダーシップ向上プログラム」


 (1)知る女性づくり(私とは?あなたとは?われわれとは?)、(2)多文化女性として生きるみち、(3)夢づくり、(4)人間としての会話の仕方、(5)自分の人生の主人公になるために、(6)韓国の歴史、(7)リーダーシップとは何か(自分の人生のリーダーシップをとるために)、(8)私の成長・われわれの成長。
 こういったプログラムの中で最初は受け身的だったけれども、積極的になったり、外国人当事者のグループを作ろうとがんばる女性も出てきているそうです。大きな社会構造や社会状況を見据えて、国や行政に対する働きかけもするけれども、あくまで当事者が力を回復していく過程を大事にする、その寄り添い方にとても元気をもらいました。

■空気


 もう一つ感じたこと。安山でも霊光でも群山でも、それぞれの場で「そこが信頼に足る場所であり、しんどい時でも受け入れてもらえる、しんどくなったらいつでも来てもいいんだろうな。だから、みんな来るんだろうな」ということを感じました。
 私は韓国語が分からないので、通訳を介してしか現地のスタッフの言葉は分からないのですが、話しぶりや口調、表情から、それぞれのスタッフが相手や自分の想い(喜びも悔しさも苦しみ、葛藤なんかも)を大事にしていることがひしひしと伝わってきました。また、スタッフのそういったスタンスが、人を受け入れる場の雰囲気を醸し出すんだろうなと感じました。とにかく、やわらかい、手作りの雰囲気があって、そこでのんびり、ゆっくり過ごすことができる。でも、いざという時には駆け込めるような雰囲気が感じられました。
 そういった人を受け入れる空気(雰囲気)は、それぞれの団体の活動紹介や施設紹介では特徴や特色として説明されることはないのですが、もしかしたら、そういった雰囲気・空気を生み出すことが、こういった取り組みの根本になるのではないかと思いました。箱を用意したり、適当に理念や目標を掲げ、プログラムを実施するだけでは、とてもじゃないけど生み出すことができない「その空気」こそが大事なんだろうなと。
 そういったやわらかい、でも濃い空気を一緒に吸うことで、スタディツアーに参加した人間の間に少しずつ絆のようなものが生まれたことも、うれしかったです。韓国でも日本でも、同じことを目指している仲間が「がんばっている」と思うと、とてもうれしくなりますし、勇気づけられます。本当に行って良かったです。
 ただ、帰ってきて思うのですが、ここ(日本?大阪?)では、「多文化共生というきれいな言葉」が広がってきているのですが、ちょっと気を抜くとすぐ窒息しそうになります。窒息しないように、地道に活動を続けていきたい、「今回出会った人たちとは、また会って、元気を交換し合いたいな」と思う今日この頃です。


2008年8月スタディツアー所感

奥井 亜紗子(日本学術振興会特別研究員)

■スタディツアーを終えて


 私がこのツアーに参加したのは、別件のプロジェクトで韓国の国際結婚について調査する予定があったのがきっかけです。韓国の農村には興味がありながら、国際結婚とは掠りもしないテーマの研究をしていた私が五里霧中で悩んでいた時、「こんなプログラムがあるよ」と京都女子大学の嘉本先生が誘ってくださって、一も二もなく飛びついたのが今回のスタディツアーでした。参加させていただくと、国際結婚という当初の一つの関心をはるかに超えて、濃く深く、色々と考えさせられる貴重な6日間となりました。
 今回のプログラムのうち、印象に残ったものの一つは全羅北道の地方都市クンサンで見学した火災現場跡地でした。韓国において性売買防止法制定のきっかけとなった2000年、2002年の火災現場となった建物はいずれもそのままにされているのですが、外から見るだけでは少しボヤでも出た程度かと思われるような佇まいで、5名、14名といった多数の性売買女性が亡くなった場所には到底見えませんでした。それはつまり、監禁されていたため逃げられなかったということであり、その現場の衝撃は、その後に歩いた建物の裏手に伸びる商店街の喧騒と色彩が、どこか現実のものではないように映るほどでした。
 今の私は、こうした世界各地に存在する悲惨な現実とは距離のあるところにいる。でも、それはあくまでも「たまたま」であって、生まれる時代が違えば、一歩踏み外したらあっという間にあちら側なのだろう、と。そう考えた時、今まで気にはなっても現実感のなかった世の中の人権問題が、あらためて自分自身の問題として迫ってくるように思いました。
 ヨングァン、クンサンで訪問した「女性の電話」のスタッフの皆さんは、非常に高い意欲を持って現場の現実に向き合って戦われています。なかには以前は主婦をしていたとおっしゃる方もいて、韓国人女性の社会活動への敷居の低さと行動力は、私を含め日本人女性にはなかなかないものではないかと反省させられました。


2002年1月の火災現場跡群山焼け跡

■結婚移住女性対策の現状をみて考えたこと


 こうした韓国の運動団体のエネルギー、問題に対する社会の対応の素早さには敬服しましたが、同時に一抹の不安も感じさせられました。最近の韓国では結婚移住女性に非常に大きな関心が寄せられているようで、行政には特別な部門が設けられ、結婚移住女性を対象としたさまざまなプログラムが各地で行われています。この数年の経緯を知る方々は、以前とは比べ物にならない変化だといいます。もちろん、こうしたプログラムに出会える女性ばかりではないこと、依然として深刻な問題が山積していることを考えれば、これは歓迎すべき傾向だといえます。
 しかし、現在の結婚移民女性を対象とした急激な関心の高まりは、逆に言えばその継続可能性については疑問符のつくものでもあります。何かもっと社会の注目を集めるような問題が他に生じたら、途端に手のひらを返したように様々な補助金は打ち切られてしまうのではないか。漠然とではありますがそう思わせる危うさもあり、「韓国社会は目の前に山があればとりあえずみんなで登ってみて、登ってからその山が何なのか考える」「日本社会は目の前に山があったらその前で色々考えて、違う角度から見てみたりとかして、結局登らない(何もしない)」という韓国人留学生の比喩をあらためて思い出しました。韓国社会で結婚移住女性に対する社会の関心が昨晩に薄れるということは考えにくいですが、もしそうなった場合、今NGOその他の団体が着実に積み上げようとしている様々な活動は、それらの機関に救われている結婚移住女性達は、どうなるのだろうか。一つの回答としては、日本とは比較にならないほど発達しているキリスト教団体が、やはりセイフティネットとして重要な役割を果たし続けるのかもしれません。そう考えると、結局のところ「最後は宗教しかない」のでしょうか。

■おわりに


 最後に、スタディツアーというものには初めて参加しましたが、年齢は30代から70代、研究者、NGO関係者、教育関係者その他の分野で、それぞれ多様な人生背景を持つ人同士が行動を共にし同じものを見て、さまざまな角度から意見や感想を交換しあう時間が、いかに刺激に満ちたものであるのかを実感しました。貸切バスでの点呼、後方から順繰りに回ってくる地元のお菓子などは、修学旅行のような懐かしい気分で、きらきらと楽しい思い出です。今回のツアーを企画していただいたヒューライツ大阪の皆様、参加者の皆様、またお目にかかる機会を楽しみにしております。


2008年8月 スタディツアー感想

上野 万里子

 安山(アンサン)で「移住民センター」を運営しているのは教会。牧師さんによると年間の財政規模は相当な金額を教会の寄付などでまかなっているということだった。運営している教会は韓国で5本の指に入るほど大きい教会だからまあそれなりに資金は集まってくるという説明だったが、どうも納得できない。海外から工場の働き手として、または結婚により韓国に住むことになった外国人居住者のための事業を教会の組織として承認をされ資金を出している。日本で宗教団体がこのような活動を大規模に積極的に行っているなんてあまり知らない。活動の理念は「幸せな社会をつくる」ことだからといわれてもますます分からなくなってくる。これはキリスト教だからこうなるのか。
 移住者の韓国への同化ではなく移住者本人が尊厳をもって韓国で生きていくための学び出会いをつくること、その手助けをしている。安山(アンサン)でも霊光(ヨングァン)・群山(クンサン)でも移住者の支援を行っている人たちからはこのように話をしていた。
 また、ヨングァンでは、ある移住女性が、経験をつんで活動分野の共同責任者のひとりとなって同じ移住女性の助けになりたいと私たちとの交流の場で発言した。それを受けて、韓国人スタッフは彼女の決意をはじめて聞いたと喜んでいた。


霊光女性の電話の事務所で話を聴く

 「クンサン女性の電話」のスタッフからは女性が女性として生きていくのが大変な世界だけれど平等に生きていく社会への情熱、女性たちの姉妹愛、仲間がいるから大変だけれどもやってこれた。この「女性の電話」がなくなる日が望ましい。こうやって訪ねてきてくれただけでも大きな力になる。がんばっていきたいといわれた。
 言葉も十分にわからず細かいところは理解不足のところもあったが、共通する問題やわかりあえることも多い。解決の仕方を参考にしあったりと、こうやって交流をしていくことがお互いのエネルギーになっていくのだなあということを実感した。
 ところで今回のスタディツアー参加者の交流会(反省会)ではツアー中の宿でお互いの感想などを話し合ったが、その場のテレビで北京オリンピックでの韓国野球の金メダル獲得の場面をみたというのもなかなかの体験であった。また、Yさんの「松ケンサンバ」(もちろん振りつき)も大変よかった。できれば韓国のみなさんと歌って踊っての交流ができればさらによかったが、そうなると朝まで交流会なんていうことになって参加者の体力の問題になってくるかも。それでなくても今回もバス移動が多い強行ツアーだったので。


スタディツアーつれづれ話

嘉本 伊都子(京都女子大学准教授)

■反省―新しいパスポートをお忘れなく


 初日、古いパスポートをもって集合してしまいました。パスポートは新しいものをもっていかないと、古いものでは飛べません。皆さん、ご注意ください。京都―関空間を2往復し、アールアンドシーツアーズ(旅行会社)さんのおかげで、翌朝第一便の最後の2席のひとつをおさえてもらって、2日目の夜から合流。皆さん、ご迷惑をおかけしました。

■やみつきになる理由


 それでも、おつりがくるほどの、もりだくさんな旅でした。悲惨な現実を起こすのも人ですが、それでも、人は信じるに値するのだ、という希望を捨ててはならないのだなあと思った次第です。ヒューライツ大阪のスタディツアーは2度めですが、やみつきになります。テーマ曲は♪泣きなあさあいぃ、笑いなあさあいぃ、・・・花を咲かそうよ♪ 出会いと、涙と笑いに、感謝。

■宣伝


 『国際結婚論!?歴史編』『国際結婚論!?現代編』の2冊を法律文化社という京都の出版社から出しました(2008年11月5日発行)。現代編には、ヒューライツ大阪のスタディツアーのことも書きました。女子学生にわかるように、やさしい口調(実物とのギャップに困るかも?)で、語りかけるように書いています。

■再会


 来年(2009年)の夏も、再会できますように!


はじめての韓国訪問そして「スタディツアー」

玉城 保

 韓国は、近くて遠い隣国という観念が今までにあった。在日韓国・朝鮮人も身近に住んでいた関係上、外国人という感覚はなかった。1935年生まれの私は終戦後、大阪の廃墟の中、食糧難の中、苦しい生活の中、日韓共に子どもの教育に熱中された先輩たちの労苦に今日の繁栄があると思う。私の通学した住吉区の浪速中学・高校を通じて、松井、金田という通名を名乗る在日の同級生たちとの学校生活が甦る。
 さて、今回の韓国スタディツアーに初参加して思うに、アジアの先進国である日本、韓国が、途上国からの移民受け入れに際し、国際結婚、「単純労働者」の入国後に起こる様々な問題を目の当たりにした。言語習得に悩んだり、人身売買に巻き込まれるなど悲惨な生活を強いられているという話を聞いて胸を痛めた。各地の外国人への支援活動には頭が下がる思いである。私自身は、一旅行者として何もできなかったが、この出会いの機会を得て、在日韓国・朝鮮人とも友だちになり、また機会があればいろんなところに参加したいと思っている。先ずは、在日の人たちにとって、祖国統一の時が一日も早く実現すべく共々協力していきたい気持ちである。

日本式家屋が残る群山の街並み
日本式家屋が残る群山の街並み


考えさせられたスタディツアー

梁 京姫(ヤン キョンヒ)

 2008年夏、ヒューライツ主催の「移住女性の人権と多文化共生を考える韓国スタディツアー2008」に通訳者として参加させていただいた。通訳者として至らないところも多かったが、ツアーメンバーの励ましで無事に終えることができた。その点について、この紙面を借りてお礼を申しあげたい。
 今回の旅によって多くのことを学ぶことができた。移住女性問題に関心を持ちはじめたのは、07年10月にドーンセンターで開催された日韓連続シンポジウム「移住女性労働者の人権保障を求めて」に参加してからである。その後、報告者の報告テープ起こしを頼まれ、テープ内容を何回も聴きながら文字にするうちに移住女性労働者が置かれている立場を少しではあるが理解することになった。それに続くプログラムとして、今回のツアーが行われ、通訳を頼まれた時は「良い勉強になるぞ」と嬉しかった。
 最近、メディアを通じて報道された、結婚して韓国に移住する女性が増え、農村男性の国際結婚は40%を超えたとのニュースは実感できなかった。韓国農村のような閉鎖的な社会で外国人の新婦さんが受け入れられるかという疑問が強くあった。しかし、今回、安山の「国境のない村」、ヨングァンの結婚移住女性とのインタビューを通じて変化した韓国を実感した。私自身は日本に移住して今年の10月で10年になるが、その間に韓国社会は大きく変わり、韓国の変化についていけない気がして率直に心配だ。
 ツアー修了後も、しばらく韓国に滞在したが、ある日江南にある食堂に友達と食事しに行った。江南といえば韓国の富を象徴する場所である。その食堂の社長は朝鮮族の移住女性であった。最初、彼女は従業員として韓国にやってきて、成功を収めたという。韓国で、移住女性は低賃金労働者や助けが必要な階層から抜け出しつつあるようだ。この社長の成功振りをみて、もはや移住女性問題は、韓国人が助け、移住女性は助けられるという一方的な関係のものではないと感じた。今回のツアーによって改めて移住女性問題に関心が高まっている自分を感じている。
 ところが、日本での約10年間の暮らしで、今回のように日本人と楽しくツアーをした記憶がない。ツアーメンバーの一人ひとりが、なぜ、こんなに心を開いてお互いに話し合うのか、不思議であった。やはり、人権団体のツアーは違うと感じた。
 今回行ったヨングァンは、私の故郷から近いところであるが、ほぼ30年ぶりに行くことができた。日干しイシモチが有名なところで、それを食べる楽しみが大きかった。予想どおり、ヨングァンの女性の電話で日干しイシモチ定食を用意し、私の期待に応えていただいた。また、郡山で食べたサムバプの豊富な野菜と味が忘れられない。また、食べたい。


浮足立ったなかでのスタディツアー

藤本 伸樹(ヒューライツ大阪)

■焦燥感と消耗感の渦中でのスタディツアー


 8月に行った「韓国スタディツアー」から4か月以上たち2008年も終わりかけた12月1日になってようやく感想文を書いている。
 今年は、私たちヒューライツ大阪で働くものにとって、年初から慌ただしさに苦しめられた年となった。
 2008年2月に就任した橋下徹大阪府知事が「財政再建」を目的に各種事業・出資法人の見直しを行うために設置した「改革プロジェクトチーム」が、4月に「財政再建プログラム試案」を発表し、1994年の設立時から継続してきたヒューライツ大阪に対する財政的・人的支援を「2008年度は10~20%程度削減」、2009年度以降は「補助金は廃止」「大阪府からの派遣職員は引上げ」という方向性を示したのである。
 さらに大阪府は6月に発表した「大阪維新」プログラム(案)で、「試案」と同様にヒューライツ大阪に対する支援の撤退を明記し、7月の府議会でそれが承認されてしまったのだ。
 さらに、追いうちがかかった。これまで大阪府と同内容の支援を続けてきた大阪市からも、2009年度以降の運営補助の廃止や派遣職員の引上げが伝えられたのである。
 ヒューライツ大阪は、詰まるところ大阪府と大阪市から、「府民や市民の役に立たない金喰い団体」とみなされたのである。
 私たちヒューライツ大阪の職員は手をこまねいていたわけではない。ヒューライツ大阪の活動に共感する幾人もの人たちの支援を受けながら、団体の存在意義やこれまでの実績、人権教育・啓発などの活動(支援)に対する行政の責務などを訴えた。しかし、その声は結果として全く理解されなかった。
 11月1日には、これまでベースとしていた事務所の高家賃を支払い続けることができないことから、スペースは狭いけれど家賃は格段に安い現在の場所にあたふたと立ち退いた。

■前進しなかった20年間~私たちにとってのエンパワメント


 そうした大逆風と焦燥感に悩まされ続けながら、できる限り業務に支障をきたさないよう、それ以上にこういうときだからこそ前に打って出るよう皆で心がけようとした。今年の「韓国スタディツアー」はそうした最中の実施であっただけに、2007年のときと同様に力を注ぐよう努めた。
 今回のツアーは、テーマこそ前年のコピー版のようであったが、梨花女子大学で開催されたシンポジウムを除けば、地方への訪問に重心を置いた企画とした。近年、韓国で急増する国際結婚はとりわけ農漁村でその比率が高いと聞いていたからだ。「農村花嫁」に対して国や自治体がどのような「受け入れ施策」をとり、NGOがどんな取り組みを展開しているのかについて知りたかった。「農村花嫁」の受け入れに関しては、1980年代から「本格化」した日本よりも韓国は「後発」にあたる。しかし、社会統合および地域の多文化化をめぐる行政施策やNGOの活動は、多くの点で日本を追い抜いているとしばしば耳にしていただけに、その内容に関心があった。
 実際の訪問を通じて、輪郭がつかめた。韓国政府は「外国人処遇基本法」や「多文化家族支援法」を制定し、それらに基づく施策のために多額の予算をつけ、在留外国人のためのハングル教室や医療、通訳、相談事業などを行う自治体やNGOに対して積極的に財政支援を行っているという。
 一方、研究者やNGOからは、「外国人花嫁」に韓国語や韓国文化を教えたりすることに力点を置く政府の「社会統合政策は韓国への同化政策ではないか」といった辛口の疑問や批判が出ている。確かに、「多文化家族支援」と銘打った事業に対しては、潤沢な補助金が支給されている、と多くのNGO関係者は皮肉っぽく異口同音に語っていた。それだけに、行政の真意がどこにあるのか、慎重に精査する必要があろう。
 とはいえ、日本における長年の「無策」をみていると、韓国の施策を研究し学ぶべきではないかと考え込む。
 私の手元に1988年に発行された『アジアから来た出稼ぎ労働者たち』(内海愛子・松井やより編、明石書店)という本がある。そのなかで、日本の「農村花嫁」をめぐる問題や課題が多くとりあげられている。「嫁不足対策の最後の切り札としてアジア各国の女性との国際結婚」、「国際結婚仲介業者に支払う200~300万円の手数料」、「法的な規制のない結婚仲介業者」、「女性の結婚観は大きく変わっているのに男性はまったく変わっていない」、「老人の介護というのは嫁にやってほしい。・・・それをさらにアジア女性に肩代わりさせる」といった「現状報告」の数々が目を引く。
 20年前の日本はすでにそうした状況を迎えていたのである。これらを20年後のいま読んでみると、いま現在の「現状報告」であろうと錯覚するほど酷似している。つまり、何も変わっておらず、大きな前進もみられないのである。変化をあげるとすれば、80年代には「嫁不足対策」として農村部の自治体が民間の仲介業者と組んで国際結婚を奨励していたのだが、批判を浴びた結果、それがほぼなりをひそめてしまったことと、国際結婚カップルにおけるDVが問題として明確に認識されてきたことくらいであろうか。それから、外国籍住民を支援する市民団体が全国各地に増えたことであろう。
 だが、日本では、韓国と異なり、行政政策、とりわけ国の政策を突き動かすような市民運動のパワーが残念ながら弱い。
 「韓国スタディツアー」を通して、移住女性のエンパワメントのプロセスの一端を知ることができた。しかし、いまつくづく思うに、日本における多文化主義の推進に取り組んだり、外国籍住民との共生を求める日本の市民自身がエンパワメントすることが重要ではないかと。とりわけ、大阪府や大阪市の「財政改革」の論理に打ちのめされた立場にいるものとして、そのことを痛感している。


情・スピード・価格 韓国体感

朴 君愛(ヒューライツ大阪)

 スタディツアーの主催者としてお陰様でこの5年で計4回も韓国に行くことになった。企画の度に、新たないろんなNGOとネットワークができ、韓国の人権の分野における前進を垣間見ることができた。学びの度合いや感じ方は人それぞれとしても、人権を体で学ぶ場を喜びもまた参加者のみなさんとある程度分かちあえたのではないだろうか。
 今回の私なりのスタディツアーで体感したキーワードは、「情」「スピード」「価格」。そして、ヒューライツ大阪に対する大阪府・大阪市の補助金打ち切りが決定となり、職場存亡の危機という嵐の中で、スタディツアーを企画・実行することとなった。

■<情(チョン)>


 平均的に、韓国人のほうが日本人よりも人と人とのつきあいの距離が近いと言われる。そして日本人の友人から、韓国に行って大歓待を受けて、嬉しい反面、この人たちが来日したらどうしようという心配する声を幾度となく聞いている。今回、ソウルからバスで4時間強の全南の霊光、そこからソウル寄りに1時間半くらい戻った全北の郡山に行った。これまでも訪問先のソウルのいろいろな市民団体のホスピタリティに感じ入ってきた。「はるばる日本から田舎の自分たちのまちを訪問してもらって有難う」という言葉そのままに私たちを心からもてなしてくれた「女性の電話」のスタッフや会員のみなさんはより一層の情で受入れてくれたように思う。やっぱり私も大阪ではここまではできないと思った。主催者として感謝の思いをここで再度伝えたい。そしてその厚意で観光案内もしてもらった。そこは、日本の植民地時代の「産米増殖計画」による米の集積地であった群山港などとりわけの負の歴史が濃く残っている地域でもあった。

■<スピード>


 NGO「韓国女性の電話(女性ホットライン)」のメンバーとはじめて交流したのは、2004年7月、大阪での日韓の女性の人権に関するシンポジウムにおいてであった。この団体が、韓国のDV根絶運動と法制定に大きな力を果たしたことは、ヒューライツ大阪の機関誌『国際人権ひろば』2004年7月号の「女性の電話(女性ホットライン)」代表の朴仁恵さんの記事でもおわかりいただけると思う。当時、韓国は性売買防止法施行目前であった。そして、外国人女性の相談もちらほらあるが、まだほとんど何もできていないという話であった。その前後での外国人労働者、国際結婚の急増の中で、2007年には「在韓外国人処遇基本法」が制定され、2008年3月には「多文化家族支援法」が制定されるなど法整備が進み、これに基づき国家としての具体的な政策が展開されてきた。つまり、この間、毎年韓国に行く度に、新しい法律が生まれており、政府の姿勢をめぐって市民団体が熱い議論をたたかわしていた。2008年のスタディツアーでは、4年前に何もできていないと言っていた「女性の電話」が、韓国の農村部において、移住女性の組織化までを含めたさまざまな取り組みをエネルギッシュに進めていた。このスピードは、まさに社会全体の変化の早さゆえであろうが、それに呼応して政策立案までに影響を及ぼしている市民団体の働きを私たちは見なければならない。

■<価格>


 スタディツアーから、もたもたすること3か月、その間に予想をはるかに超えた円高・ウォン安が進行している。8月には100円が920ウォンであったものが、なんと1400ウォンになっているという。それは世界の同時不況の中で起こっている激変であるが、韓国は、さらに工業製品の価格が上昇し、農産物は下落している。日本円で暮らす私としては、この際に訪韓したいところであるが、この8月でも地方の食堂の価格の安さには驚いた。キムチやナムルなどのおかず食べ放題の冷麺が5,000ウォン。超豪勢な田舎の韓定食も10,000ウォンであった。霊光名物のクルビ(イチモチの干したもの)にエイの刺身に、肉のいためものに...とにかくお膳いっぱいにおかずが並ぶ。大阪でならずばり3,980円はくだらないだろう。一体、野菜や魚の原価がいくらで、食堂で働く人たちの賃金はいくらなのか?ソウルでの物価は、ここまでウォン安でないときは、交通費以外、ほぼ大阪と変わらない実感があった。こうなると韓国内の経済格差を考えないわけにはいかない。そして経済的に困難な農村の家族に、国際結婚が多いと聞いた。

■<大阪で、自分のくらす社会と向き合わねば>


 1980年代初めに軍事政権時代に恐る恐る訪韓した時代は、記憶の中でも、実際の風景においてもはるかかなたに過ぎ去った。2000年代に入ってからの韓国社会の人権の進展は目覚しいものがある。かつて私たち(私と周囲の人たち)にとって、韓国は、明日がなかなか見えない灰色の社会であった。しかし、私が訪問する市民団体の多くは、人権侵害が日常であったその時代に韓国で生をうけ、社会の変化のために参加し、立ち会ってきた人たちが中心になっている。
 残念ながら、今、自分が生活する大阪で、職場をとりまく状況を含め人権後退の真っ只中にいる(詳細は、同僚の藤本さんの感想文ならびに、ヒューライツ大阪機関誌『国際人権ひろば』白石理所長の「人権さまざま」(2008年5月号「行政の選択-人権との向き合い」と同7月号「前を向いて歩こう」参照)。人権のために尽くしてきた人たちとの出会いを糧に、自分の足元でどう踏ん張ることができるのか、自問自答している日々である。