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日韓市民社会の交流と協力のための市民フォーラムの記録

主催者挨拶
パク・スンソン 韓国・東国大学教授、参与連帯平和軍縮センター所長
初瀬龍平(はつせりゅうへい) アジア・太平洋人権情報センター企画運営委員長、京都女子大学教授
〈第1部〉
コーディネーター/郭辰雄(カクチヌン) コリアNGOセンター運営委員長
発題者(1)/鄭甲寿(チョンカプス) コリアNGOセンター理事、ワンコリア・フェスティバル実行委員長
発題者(2)/イ・キョンジュ 韓国・イナ大学教授参与連帯平和軍縮センター、
〈第2部〉
コーディネーター/イ・テフン 参与連帯共同議長・平和軍縮センター
発題者(1)/丹羽雅雄(にわまさお) 弁護士、すべての外国人労働者とその家族の人権を守る関西ネットワーク(RINK)代表
発題者(2)/カン・ヘジョン アジアの平和と歴史教育連帯国際協力委員長

  ただ今より「日韓市民社会の交流と協力のための日韓市民フォーラム」を開催する。
  このフォーラムには、日本人、在日コリアン、韓国人など様々な立場の人が参加している。現在の日本と韓国は歴史問題を含めて様々な問題が存在しているが、それをどのように考えるか、一緒に話し合っていきたい。次に主催者を代表して、日韓の双方から開催の挨拶をもらう。

初瀬 アンニョンハシムニカ?私が知っている二つの韓国語の1つである。日本側を代表して挨拶をする。自分が代表する理由はこのグループで一番年上だからであろう。フォーラム開催にあたり、参与連帯と韓国の市民のみなさんにお礼を申しあげる。国際社会は、国家と国家、ビジネスとビジネス、市民と市民の三つの関係からなっている。私はいずれも大切だと考えている。今日は、市民と市民の相互の学びあいを通じて、将来の東アジアについて考えていく機会にしたい。カムサハムニダ。これが知っている二つめの単語である。

パク はじめまして。暑い時に遠方からよく来ていただいた。参与連帯の設立以来、この会議室に60名ものたくさんの参加者を迎えるのは初めてである。今後はもっと広い場所が必要だ。韓国スタディツアーに参加した一人ひとりを歓迎する。コリアNGOセンター、アジア・太平洋人権情報センターにも感謝する。現在、韓国は、南北関係の問題や8・15光復節の行事の準備で忙しい時期であるが、参加した平和と友情を愛する参与連帯の会員にも感謝する。この市民フォーラムが、日韓の市民団体が協力していくために役立つものとなるよう願う。進行、発表の準備をされたみなさんにも感謝し、相互理解と学びの機会になればと思う。

〈第1部〉東北アジア軍事化と日韓関係
 日本と韓国の関係において、日本のイラクへの自衛隊派遣、韓国のイラクへの派兵、日米軍事同盟など、日韓をめぐる軍事的な動きが変化をしている。その一方、朝鮮半島での南北の関係が急激に変化し、交流と協力という面では非常に大きく前進している。第1部では、二つの相反する方向への動きに見えることが同時進行している東アジアを私たちがどう見るのかについて考えたい。最初の発題は、鄭甲寿さんにお願いする。

発題(1) 東北アジア戦後秩序の再編と韓日・日朝関係
 アンニョンハセヨ。私のテーマは大きなものであり、きちんと話すには時間がないので割愛しながら話をする。私は学者ではないので、活動家としての実践的な話になる。ワンコリア・フェスティバルについては『ワンコリア風雲録~在日コリアンたちの挑戦~』(岩波ブックレット)が発刊されたので、日本の人は読んでほしいし、韓国の人は早く韓国で翻訳されるよう協力してほしい。
  まず「東北アジア」とはどこかという話からはじめる。アジアの東の端は日本であるが、東アジアはどこなのか? それは東北アジアと東南アジアを併せた地域であろう。東北アジアは、モンゴル、中国、南北コリア、日本、台湾などを含むが、この地域は世界でもっとも緊張関係の強いところである。中東地域でもアラブ連合という国際機構がある。国際機構がない唯一の地域が東北アジアである。中国、コリアは分断国家であり、日本と他のアジア諸国間において歴史認識の問題がある。従ってこの地域はナショナリズムの強い地域である。
  私はレジュメで、東北アジアの解放後(戦後)を大きく三つの時代区分を設定した。解放後は<冷戦時代>があり、80年代末まで続いた。80年代末から90年代初めにかけての<冷戦末期>という言葉は、私が考えた。冷戦時代に東北アジアの各国はナショナリズムを非常に強めたと思う。その頃、日本ではそんなに強くナショナリズムを感じることはなかった。日本では明らかに冷戦後に強くなっていると思う。その理由を考え、克服することが、今日の私のテーマだと思っている。
  1970年代半ばから後半、私は学生であったが、その頃日本の社会は市民運動が非常に盛んであった。特に公害問題が活発で、自分の生活や健康を脅かすものについて抗議し、闘っていた。しかし、歴史問題や国際問題、アジアの問題についての市民運動はほとんどなかったといえる。唯一例外だったのが、日韓の市民連帯であった。韓国では朴正熙(パク・チョンヒ)から続いた独裁政権時代に多くの政治犯が生まれ、在日同胞も多く政治犯になった。当時、金大中(キム・テジュン)前大統領の拉致救出運動を日本と韓国が連帯して行なった。70年代は韓国が独裁政権の時代で、民主主義がなく、民主化を求めて闘う人々を日本の市民が連帯してきた。
  それは大事なことであったが、限界もあった。それを担った人たちの中には、右翼的な人はあまりおらず、左翼的な人が多かったが、そういう人たちは北朝鮮の実態を知らずに、北朝鮮の社会主義を評価していた。そういうねじれた関係があり、南北朝鮮を等身大で見ることができなかった。
  こういうねじれた現象は今までの市民社会が歴史問題に向き合ってこなかったということである。東京裁判があったけれども、それをきっかけにして日本人はアジアの問題については向き合わなかった。またアメリカの占領政策では日本の天皇制を残した。全体としてみれば、日本はアジアへの侵略や朝鮮植民地化と向き合わずにきた。しかし70年代の市民運動の成果はあったので、これからその成果を歴史の問題に結びつけていくことが大事であると思う。その時に大事なのは日韓の連帯である。
  韓国は70年代、80年代には自国の歴史の闇の部分を全く問題にすることはなかった。最近、韓国政府は、歴史の真相究明の法律を成立させたが、それは冷戦後だから可能になった。韓国政府は、この他にも自分たちの歴史の闇の部分、済州島の4.3事件、光州事件などの軍や官憲による虐殺事件を明るみにして謝罪している。また日韓条約の外交文書を公開した。そこで韓国が戦後賠償を放棄したということが明るみになった。韓国政府は責任をとって、日本に補償を求める代わりに自分たちが被害者に保障するといっている。韓国は冷戦後の民主化の中で自分たちの歴史を見つめなおす過程に入っていて、市民運動がそれを支持している。
  韓国の運動は身近な生活の問題だけでなく、東北アジア地域協力や反グローバリズムなど大きなテーマでやることが多い。日本の場合は、身近な生活の問題についてのNGO活動が活発である。私は両方の面が必要だと思っているので、日韓はお互いに学びあえると思う。
  私は朝鮮籍なので、つい5年前までは韓国に自由に来ることができなかった。すでに韓国に十数回来ているが、来るたびに韓国の変化の早さを痛感している。今年、「8・15」60周年を記念する南北コリアと海外コリアンの共同行事がある。この行事は、6・15南北共同宣言5周年を記念するピョンヤンでの行事と連動している。それで私ははじめてピョンヤンに行った。詳しい話は省略するが、私はこれまで、北朝鮮政府から2回、ピョンヤン行きを断られている。しかし今回、ピョンヤンへは正式のパスポートで行った。韓国には1回限りの臨時パスポートである。韓国に来るたびに領事館でパスポートを申請しなければならない。10月にも来るのでまた申請するという面倒な状況である。それでも自由に来られるようになったのは大きい。金大中政権以降可能になったのだが、この変化の早さは民主化されたことが関係している。南北関係を見ても変化が早い。
  ところで日本は、小泉首相の靖国神社参拝などで、いまだアジアと日本との間で歴史問題が解決されていない。歴史問題を見ると日本はまだ冷戦が終わっていないように思う。韓国は今、冷戦時代の総括をしつつある。南北関係が劇的に変わっていっているのも韓国の努力によるところが大きい。そういう意味で、韓国がなぜ南北の関係改善に一生懸命努力しているのか、日本との関係でひとこと言いたい。南北分断は、韓国にとって戦争につながることである。1950年からの朝鮮戦争で300万人以上が亡くなったが、朝鮮半島で再びこうした戦争があってはならないというのが大テーマなのである。
  金大中大統領が出現したときに真っ先に掲げたのが北への太陽政策、つまり共存共栄である。日本に対しては同時に文化開放政策を行なった。かつて「民族の文化」を日本が奪ったので、日本の文化が入ってくることについて韓国内では非常に抵抗があった。なぜ文化開放、太陽政策を進めたかであるが、金大中大統領の東アジア共同体構想と関連する。東アジア共同体構想は金大中大統領がアジアの政治家の中で最も早く唱えた。中国の台頭、アジアのIMF経済危機を乗り越え、発展していこうという構想だと思う。そのため韓国は、北と日本との関係改善を優先すべきだと考えた。そういう意味で日本がそれに応えきれていないのが問題であると思う。当時、金大中大統領と小渕首相が未来志向の日韓関係を築こうと言ったが、今、それを反故にされつつあるのではないだろうか。対日文化開放は韓流ブームにもつながったので成果はあったが、このまま歴史観の衝突が続くとどうなるかわからないという気持ちがある。
  これからは日本の市民運動が、日本の歴史問題やアジアとの問題を身近な課題として考えていく時代である。そして日韓の市民が連帯して、東アジアの平和、歴史の克服、ナショナリズムの克服に向けて共に努力をしていかなければいけないと思う。私はそれが可能だと思っている。

発題(2) 日米軍事同盟と平和憲法の改定
 続いて、イ・キョンジュさんにお願いします。

 近くて遠い国といわれている韓国に来られたことを歓迎する。韓国は猛暑の季節で、この時期、旅行に出かけることも多いが、みなさんが韓国に歴史の勉強も兼ねて来たことをうらやましく思う。鄭甲寿さんは冷戦後と冷戦前に分けてわかりやすく話をした。私も話をわかりやすく面白くしたいが、私の発題は「日米軍事同盟」という固いものなので、旅行疲れで眠ってしまいそうな内容かもしれない。
  今年、韓国は「光復」つまり解放60周年であるが、言い換えれば南北分断60周年である。分断60周年は、朝鮮半島だけではなく在日コリアン社会の分断も意味している。そういう意味で南北間の和解と協力がとても大事になっている。今回は在日コリアンの社会で実現しているワンコリア・フェスティバルのみなさんとも交流を持てたことを嬉しく思っている。
  日本の平和憲法について話をしたい。現在、平和憲法改定の動きがあり、日本社会でもいろんな反響を呼んでいるが、これを米国の世界戦略変化と地域同盟軍化から説明する必要がある。大まかに言うと、米国は世界戦略の中心をヨーロッパからアジアに移行し、今までの"後制攻撃"的戦略から先制攻撃的な予防戦争政策へと変えてきたようである。米軍は世界各地に軍事基地を置いてきた。とりわけ旧ソ連などと対峙している最前線に基地があったが、今では迅速に起動する軍隊に変わっている。特に東北アジアでは中国を牽制するために、日米韓の軍事的な連帯を強化している。
  しかし日米韓の軍事同盟を強化するにはいくつかの課題がある。米韓は相互防衛条約を締約している。日米間は軍事的条約はあるが、双務条約ではなく片務条約である。いわば日本に敵が攻撃したときに日米が同盟して集団的自衛権を行使し対応できるというものだが、米国が攻撃されたとき日本は出て行って戦うことができない。なぜなら日本には憲法9条があるからだ。それで日米韓の軍事同盟を強化し完成させるには、現在の日本の憲法を改定しなければならない。これは外からの要因であるが、日本国内の要因としては日本の資本が多国籍化していることがある。日本の多国籍企業が世界化していて、アジア地域を中心に広がっている。日本の資本が一番活発に浸透しているのは、東南アジア地域である。そこは民主化運動が活発になっている地域でもある。インドネシア、フィリピン、韓国...、どこであれ民主化運動というのは、資本家からすれば政治の激変としか見ることができない。それで軍事的なスタンスを維持するため、日本の場合は憲法第9条を改定しなければいけないと考えているようだ。
  話をまとめると、日本は対米従属の下での軽武装平和主義から、重武装で対米従属を強化する平和主義に変化しようとしているのが現在の日本の平和憲法改悪の動きであると思う。重武装に移行するために2000年に憲法調査会が国会に設置された。憲法調査会の今年4月の報告書によると、憲法と現実とが乖離しており規範性の低下という問題があるので、それを解消するには憲法を改定しなければならないということである。改憲をめぐる状況の変化という口実として、9.11同時テロ、理解不能な国家北朝鮮、国際協力の必要性などがあるとしている。もっとも問題になるのは、日本国民の多数が憲法9条の改定に反対しているにもかかわらず、自衛権や自衛隊は憲法に違反していないということを多数の意見であるように出していることだ。
  朝日新聞、読売新聞の統計を見ても、憲法改定そのものについては多数の人が賛成しているが、9条に関して国民の多数が賛成している状況ではない。にもかかわらず自民党は多数が9条の改定を賛成しているように言っている。そのようなレトリックを使うのは、2005年度から2006度に必ず改憲しようとする意思があるからだ。2005年11月15日は自民党結成50周年にあたり、それに合わせて自民党からの改憲の動きがある。
  しかし改憲へのスケジュールには、いくつかの争点と課題がある。まず国民投票の行方がどうなるか。次に「9条の会」などの護憲運動がどこまで活性化するのか。また東アジアにおいて日本の平和憲法改悪に高い関心が寄せられているということである。なぜ東アジアにおいて他国の平和憲法改悪に対し、高い関心があるのか。それはまず、東アジアで軍備競争が強まっているということ。2番目は、私たちの「平和軍縮センター」もそうであるように、現在、朝鮮半島で平和軍縮運動が活発に起こっているが、こうした運動が後退させられるおそれがある。3番目は、平和憲法は、日本国民のものだけではなく、実際、戦争の加害国(日本)が被害国(東アジア)に行なった歴史的約束であるゆえ、東アジアにおける歴史認識の後退になるといえるからだ。
  そこで平和憲法の改悪に対し、東アジアあるいは東北アジアが共同で対応することが必要である。そのために日本の憲法についての認識を広めるとともに、この過程で平和憲法の成果と限界を認識する作業が必要である。先日、私が会ったある日本人は、日本には自慢できるものが3つあるという。「治安」、「そのまま飲める水道水」、そして「平和憲法」であった。しかし平和憲法は、実際には在日外国人に過酷な面がある。まず基本的人権の享有主体はpersonではなく、nation国民として規定されている。そうなると今発題した鄭さんを含んだ在日外国人は基本権の享有主体になれないということだ。これは戦後60年間も日本に生活をしている在日コリアンを含め在日外国人への差別ではないかと思う。また天皇制が憲法によって維持している。しかしそういう問題は憲法に対する解釈論で克服できると考えている。
  平和憲法は限界もあるが、その一方、成果もある。ある米国の研究者はこう言った。「戦後を通じて、日本での一番の変化は何かといえば、日本軍によって誰一人外国で殺された人はいない」。すなわちそれは憲法9条のおかげである。自衛隊の海外活動を制限しているのだ。もちろんPKO法や周辺事態法、テロ特別法によって、それが緩んできているが、戦時の戦闘行為はできない。そして日本の人権保障にも貢献している。日本には徴兵制がないし、基本的人権の制限ができない。
  東北アジアは 唯一共同体がない地域だが、こうした面から見ると、憲法9条が提示している非武装・平和主義とは、東アジアの平和共同体の基本理念になることができる。韓日の市民社会が日本の憲法に対して正しい認識を持ち、共同で対応することが必要である。

 会場からの質問、意見を受ける。

発言者1 テグ市から参加した。韓日の市民レベルでの平和運動に関わっている。イ・キョンジュさんに質問がある。講演のテーマが「平和憲法の改定」とあるが、自分の考えではこれを「憲法第9条の改定」と変えるべきだと思う。憲法1条から8条までは天皇に関する内容であるが、そこがどういう内容になっているのかという議論があってこそ9条の議論ができるのではないか。天皇制維持のために作られた憲法であれば、平和憲法にそぐわないと考える。日本で、第9条だけをとりあげるのではなく、1条から8条も取りあげる必要があると思う。天皇制の内容も変わりつつあるが、そういった状況に対しどのような運動があるのか、そして活発になされているのか疑問が残っている。
  鄭さんはこれから希望があると言ったが、現在の天皇制も改悪の動きを見せているなかで、憲法9条だけを問題にして果たして希望があるのだろうか?
  私の言いたいことは、憲法9条をまもるという消極的な運動ではなく、天皇制を問題提起する方向にいくべきだと思う。それによって結果的に日本社会における民主主義、東アジアの平和が可能だと思う。

発言者2 日本からの参加者だ。日本人的な感覚からいうと、韓国に徴兵制があるのは衝撃である。飛行機でわずか1時間40分で来れる国で、男性がすべて軍隊に行って銃を持つという現実がある。日本では憲法を改悪しようとする人がいる。天皇制については自分はなくてもいいと思っている。質問は、平和をまもるためには銃を持たなければならないのかどうか。韓国の人は率直なところどう思っているのか。今後は銃がない社会にしていくべきなのかを聞きたい。

 最初の質問は二人に答えてもらう。次の質問である「平和のために銃を持つのか?」は根源的な問題で、報告者への質問というよりはみんなで討論するテーマではないかと思う。

 天皇制についての意見は同感である。ただ天皇制をどうするかは、日本人の問題である。明治以降、日本は天皇制国家を作り、アジアを侵略していったという歴史がある。天皇制は過去の歴史の清算と切っても切り離せない関係がある。例えば、君が代や日の丸も侵略の象徴のようになってしまったが、私は、それ自体を侵略そのものとは思わない。問題は、天皇制の議論がタブーになってしまったことだと思う。タブーがあるというのは民主主義の問題である。
  次に天皇制と民主主義が両立するのかという問題である。例えば日本では「大臣」という言い方をするが、韓国では「長官」という。大臣とは本来、天皇の家来という意味である。日本では大臣を指名するのは総理大臣だが、認可を与えるのは天皇である。恐らくアジアからだけではなくヨーロッパから見ても不思議な国である。天皇自身には人権はないと思う。人権が認められていな存在が象徴になっていることが日本の人権にとってどういう意味を持つのか考えなければならない。
  私が所属するNGOで、中学生、高校生を対象にして、フィールドワークを行なっている。生野区コリアタウンの入口に御幸森神社がある。ここで私は天皇についての話をする。神社というのは天皇を祭っている。天皇の墓は陵という。古代の墓で、天皇の墓でないのは古墳という。陵は宮内庁が管理をしていて中を見ることができないが、古墳は見ることができる。天皇個人の墓だからというのがその理由であるが、これには無理がある。天皇とは何かというときに、天皇陵が調べられない。それが教育にどういう影響があるか考えざるをえない。学問というのは真理を探究するものであり、それを探究するとまずいというなら、子どもに対し自信を持って学問の真理を探究せよと言えるのだろうか? そういうタブーを乗り越えていかなければ、日本の民主主義が世界に理解されるのは難しいと思う。そうなると日本がアジアのみならず世界から孤立していくおそれがある。それを日本人の問題として考えてほしい。

 日本で、現在の憲法を避雷針憲法という言われかたもしている。戦後に制定された憲法をどう性格付けるかは、いろんな議論がある。一天皇を生かすための憲法ではないかという意見もある。実際に、非武装・平和主義の憲法に対し、天皇と一部の大臣だけが賛成し、多数の人が衝撃を受けたという記録が残っている。天皇の側近が沖縄を米国に差し出したという話もある。そういう意味で、戦後の日本の憲法は天皇制憲法だと見てもいい。しかし一方では、世界でも類を見ない非武装・平和主義という性格も併せ持っている。そのため日本の憲法について多くの人たちは不満に思っていて、朝鮮半島や侵略を受けた国家は、非武装・平和主義は当然のことと批判したりする。日本の保守的支配層内では、象徴的天皇制が後退して、復古的な改憲が議論されている。改憲に関連し一部では復古的な天皇制を主張する人たちもいる。しかし2005年4月16日に発表された衆議院憲法調査会の報告では、象徴天皇制を維持するものが大多数であった。
  今後改憲が議論されるとき、復古的な天皇制が問題になるのか、9条が問題になるのかを考えているが、個人的には9条が問題になると思う。それで9条に象徴されているから「平和憲法」といっても無理はないと思う。2つ目の質問に関連するが、韓国人の間では長い間、平和を守るために銃を持たなければならないというのが支配的な意見であった。最近、平和は銃を持っては守れないという若者が増えてきている。これまでは、宗教的な理由で銃を持ちたくないという人が大部分であったが、今は、平和的な良心を持つゆえに銃を持たないという若者が増えている。いわゆる"conscious objection"である。

 他に質問はないか。

発言者3 日本の参加者である。まず感想を言いたい。東北アジアの平和の主な軸は米国にあったと思っている。これをイ先生は明快に話されたが、自分の周りでは今日のような話をきちんと言う人はあまりいなかった。つまり日本の戦後補償の問題は、米国の都合のいい、対ソ連、対共産主義の政策であったと思う。従って、韓国、北朝鮮の人々への本当の補償ができるわけがない。米国、韓国、日本の一部の上層部が決めたものである。1965年の日韓基本条約の成立の経過や内容についても、日本と韓国が共産主義の盾になっているということが明らかであり、それは天皇制にも関わることである。これからは真の補償、賠償があって、そして市民レベルから沸き立つような関係作りのスタートをしたい。日本の憲法について言えば、自分は「平和」憲法ではないと思っている。1950年~53年の朝鮮半島での戦争、その後のベトナム戦争では、日本にある米軍基地から戦闘機が行った。日本は平和を自慢できないという国民もたくさんいると思う。結論は、これから日本、韓国などの東北アジアが、覇権主義を持った米国からいかに独立してやっていくか、真の平和主義をどのように形成していくかを考えていくべきかが大事であるということである。東アジアにとってプラスになるようにやっていかねばならない。

 日本国憲法が真の平和憲法かと言われれば私も疑問を抱いている。そして、戦後60年間において護憲運動が主張しているパラダイムは、日本国憲法が本当の意味での平和憲法ではないということだった。自衛隊は戦争に参加できないが、実際は海外に派兵している。
  しかしながら平和憲法であることを再評価する必要があると言ったのは次の理由である。今、平和憲法を変えようとする側の論理は、憲法の規定と現実が乖離している、つまり9条があるのに、現実がそれと乖離しているので変えようというものである。今までの改憲派の論理は「押し付けられた憲法」であり、戦後の総決算をしなければならないというものであった。現在の改憲派は、過去の護憲運動が持っていた「規定と現実が乖離している」ということをもって変えようとしている。
  運動におけるパラダイムのシフトがある。ゆえにこれからは、規定と現実が乖離していることを強調するのではなく、今の規定によってどれほど平和が保障されているのかを強調すべきである。そして米国との関係で日米軍事同盟について話したが、改憲の動きはこうした外部要因だけではなく、保守的な内部の論理もある。平和憲法を守るということは米国に反対するという意味もあるが、同時に米国だけではなく東アジアの平和をまもるという視座からも見ておきたい。

 先ほど私が発言した「希望がある」ことについて、本当に希望が持てるのかという意見があった。希望というものは物理的にあるものではなく、努力して作っていくものだと思う。大事なことは情緒的に希望を持つのではなく、問題の本質は何か核心を知ることだ。今回の議論はその核心をついていると思う。そういった点から、こういう討論を重ねていくことに、私は希望がある。

 1部の討論の中で様々な論点が出てきた。2部ではそれを引き継ぎつつ、なぜ日本が歴史問題をめぐって右傾化するのか、そしてそれを突破するために日韓の市民社会でどのような努力が行なわれているのかをテーマにして話を進めていきたい。

(第2部)「過去の歴史の清算と共同の歴史理解」

 フォーラムへの多くの参加に感謝している。2部では、過去の歴史の清算と今後日韓の市民社会がどのように共に連帯していくのかについて話し合おうと考えている。

発題(1) 歴史の清算と日・韓・在日市民の未来
 まず、丹羽雅雄さんにお願いする。

丹羽 日本における「歴史認識と清算」をめぐる現状を以下、レジュメにもとづいて報告する。
 「歴史認識」の現状
  2005年は、日本が朝鮮への侵略と植民地支配を開始した「乙己保護条約」の締結から100年、日本の敗戦と植民地支配の解放から60年、日韓国交正常化40年の年であり、日・韓・在日市民にとって節目となる年である。
  しかし、小泉首相は、2001年8月以降、4回にわたり日本内外の抗議を無視して、天皇による侵略戦争を「大東亜共栄のための聖戦」であるとし、戦死した軍人を「英霊」として祭祀する靖国神社に参拝を続けている。日本全国で国と小泉首相を相手に6件の違憲訴訟が起こされているが、私は、この中で大阪のアジア訴訟と沖縄の訴訟に関わっている。
  また、日本によるアジア侵略や植民地支配の誤りを認めず、「痛切な反省と心からのお詫び」を自虐的であると攻撃し、「慰安婦問題」は虚構であるとの論陣を張り、天皇と国家に献身する精神を高揚させようとする「新しい歴史教科書をつくる会」が主導する中学校用歴史教科書が、文部科学省による「教科書検定」に、2001年に引き続いて本年も合格した。そして、東京都教育委員会は、来春から都立の中高一貫校で使う歴史教科書として、扶桑社版の教科書を採択し、栃木県でも採択した。
  日韓関係において、政治的緊張を生み出す「領土問題」について、2005年3月16日、島根県議会において「竹島の日」条例が制定された。「独島(竹島)」は、1905年、明治政府が日露戦争の最中、軍事施設の建設を目的として、朝鮮植民地支配政策の過程で占領したものであるが、外務省は、この条例制定を擁護して「竹島は日本固有の領土」であると主張している。
  また、日本の少なくない高位の政治家たちは、「創氏改名は朝鮮の人たちが望んで始まった」、「ハングル文字は日本人が教えた。義務教育も日本がやった」などとする「妄言」を繰り返している。
  さらに、戦後60年の本年、保守政権政党から、「日本の歴史、伝統、文化に根ざしたわが国固有の国柄の尊重」を価値基準として憲法第9条を改変して自衛軍の保持を明記した新憲法制定の動きもある。
  このように、日本における「歴史認識」をめぐる現状は、憲法第9条を始めとする「平和主義」の改変とも密接に関連し合っている。そして、1990年代後半から急速に台頭してきた国家主義、排外主義、自国民中心主義の動向と連動して、「侵略と植民地支配という加害の歴史」を消し去り、「戦争をする国家」に変えようとする動きと結びついている。
 「歴史の清算-戦後補償」の現状
  戦後日本において、アジア侵略戦争や植民地支配による被害者個人に目を向けた戦後責任に関する運動は、長い間存在しなかった。しかし、1990年8月、サハリン残留韓国・朝鮮人補償請求裁判以降、在日韓国人元軍属、元BC級戦犯、「従軍慰安婦」、韓国人シベリア抑留者、在韓原爆被害者、浮島丸被害者、不二越などの民間企業による強制労働被害者など、中国、フィリピンなどの被害者も含めて、約80件の裁判が提訴されている。そして、これら裁判に係わる日本の弁護士は、のべ1000人を超えるに至っている。これら戦後補償裁判は、多くが「立法政策」「国家無答責」「時効・除斥」などを理由として原告敗訴となっている。しかし、「慰安婦」の裁判では、被害を回復する賠償立法の義務を怠ったとして、国に賠償を命じたり、また中国人強制連行事件では、企業や国に賠償責任を認める下級審判決も出されるに至っている。
  しかし、在日韓国人を含む韓国人の戦後補償問題に関して、日本政府は、「日韓請求権協定によって完全かつ最終的に解決した」として、国家としての法的責任を認めようとはしていない。
 「歴史認識と清算」を阻害する要因は何か
  第1は、日本の敗戦とその後の米国による占領政策によって、日本統治と冷戦構造に対処するために天皇制と国体護持勢力を利用し温存させたことである。
  第2は、日本の政権政党が、戦後一貫して日本国憲法は、「米国の押しつけ憲法」であるとして、天皇制に結びつく「歴史、伝統、文化に根ざしたわが国固有の国柄を尊重」する価値基準に基づいて自主憲法の制定を思考してきたことである。そして同時に、日米安保体制を利用しつつ、憲法第9条について解釈改憲を行い、自衛隊を強化してきたことである。
  第3は、日本は、朝鮮戦争を契機に経済復興を図り、その後も日米安保体制という冷戦構造を利用しながら経済中心主義を進め、1965年の日韓国交正常化の際も、「経済援助」の名目で、「侵略と植民地支配の歴史の清算」を封印したことである。
  第4は、日本市民は、被爆体験によって少なからず「被害者意識」を持ったものの、「侵略と植民地支配」という「加害意識」はほとんどが持ち得なかった。また、唯一地上戦を経験した沖縄住民も、1972年まで米国軍事的統治下におかれていた。
  特に、日本政府は、「侵略と植民地支配の歴史」について、公教育においても正当な歴史教育を実施しておらず、一般市民も、正当な歴史認識を持ち得ていないことである。
  第5は、日本政府は、1995年の村山首相談話、1998年の「日韓共同宣言」など一方では「過去の反省」を謳いながら、他方では、政府の高官らが過去の歴史を正当化する「妄言」を繰り返していることである。
  日・韓・在日市民の未来に向けて-真の和解と信頼される友人となるためには第1に、日・韓・在日関係の未来を二度と誤らせないためには、疑うべくもない「侵略と植民地支配の歴史の事実」を正しく認識することが必要である。
  そのためには、政府間、特に日・韓・在日市民の間において、「被害の記憶」と「加害の記憶」を相互に出し合い、真摯に「歴史の真実」に向き合う対話の機会を制度化する必要がある。
  第2に、被害者個人に対する戦後補償を実現するためには、1965年の日韓条約自体も見直す必要があるとともに、日本国内において、「植民地支配への謝罪と保障に関する特別立法」を制定する必要がある。
  第3に、特に、在日コリアンには、日韓条約においては日本政府からも本国政府からも「谷間の存在」に追いやられた。在日コリアンは、日本と韓国の未来をつなぐ架け橋となりうる存在であり、日本市民にとって最も身近な隣人である。在日高齢者・障害者無年金問題、在日地方参政権問題、民族教育問題、民族差別の問題、国籍問題など解決されるべき課題は多く、「在日の人権に関する基本法」などの特別立法の制定が必要である。また、現在までで約30万人の日本国籍を取得した在日コリアンがいて、毎年1万人が日本国籍を取得している現状からも、日本と韓国が重国籍を許容することは、重要な課題だと考えている。
  第4に、アジア地域には地域人権機構が存在しない。普遍的な国際人権基準をアジア地域に広めるためにも、日・韓・在日の学者・市民の共同研究と実践が必要である。特に、市民による「アジア人権宣言」の提言活動や、各国内で「人種差別撤廃法」の制定を求める共同の運動が必要である。
  第5に、日本における「憲法改定」問題は、過去の歴史を消し去り、軍事国家の道を歩もうとする動きと結びついており、アジア地域の平和と人権保障、「歴史の清算」にとって重要な問題である。先ほどのイ・キョンジュさんの報告に感謝している。韓国市民にもまた、日本の「憲法改定」問題に強い関心を持っていただくことが必要である。
  最後に、日・韓・在日関係において、平和と人権尊重の多民族・多文化の共生する未来社会を築き上げる主体は市民である。経済交流、文化交流も含めて、何よりも顔の見える市民間の関係を積み重ね、真に信頼し合える友人になることを強く希求する。

発題(2) 「日本の歴史教科書問題と日韓市民社会の連帯」
カン こんにちは。私が所属している「アジアの平和と歴史教育連帯」の団体は、2001年の日本の歴史教科書問題に関連して結成された団体である。活動の軸の一つとして、日本の歴史教科書について批判したり、モニタリングしたりしている。もう一つは、韓国・中国・日本で歴史を共同で研究し、3年半の成果として『未来を開く歴史』というタイトルで、近現代史の歴史教科書を発刊した。3カ国で共に青少年たちが歴史を体験できるように歴史キャンプをしようと思っている。
  2005年は歴史歪曲問題においてとても大事な年である。7月中旬から8月末まで、日本の公立学校で今後4年間使われる歴史教科書が580地域で選定する機会である。いろいろな活動を日本の市民団体と連帯して進めている。また私の所属団体が韓国の市民の募金を集め、日本の新聞一般紙に意見広告を出すことにして、今日(8月13日)までで11件、8月14日にもう1件掲載した。2種類があるが一つは歴史歪曲の問題で、もう一つは8・15(光復節)が近いのでそのメッセージを伝えている。「新しい歴史教科書」が採択される危険性が高い地域の新聞に掲載した。
  歴史教科書問題は日本も韓国も新しい問題ではない。今まで続いてきた歴史歪曲問題について、韓国では反応が二つある。排他的で民族主義的な感情を持って大きく反発しているのが一つである。もう一つは若者にある「また始まった」という冷めた反応である。歴史歪曲問題の運動をすることは、現在の市民運動の中でもトレンドに遅れている部分だと思う。日本では昔からの歴史問題をまた韓国が取りあげていると言っている。
  今春からの韓国と中国での批判を「反日運動」という一言で片付けられてられている状況がある。2002年以降、韓国内で歴史歪曲問題に対応する動きとして、市民社会を中心に発言している勢力が、どういう視点で見ているかについて話を進めたい。
  実は1982年にも同じ問題が起こっている。当時、豊臣秀吉の「朝鮮半島への侵略」を「進出」と言い換えるようなことがあった。レジュメ資料には「日本では『戦後民主主義』的価値が存在していた。また『近隣諸国条項』を教科書の検定基準の一つに設定した」と延べた。さきほど鄭甲寿さんが70年代日本の市民運動が活発であったと報告していたように平和運動の声も大きかったのである。韓国は、その時は独裁政権下にあり民主主義を実現しようとする状態であった。当時、韓国で歴史問題を批判するときは「反日」であり、それを国家の統合に利用するという状態であった。日韓の市民連帯というのもほとんどなかった。
  2000年代に入って、また歴史教科書問題が出てきた。これは90年代後半からの「新しい歴史教科書をつくる会」の活発な活動が直接の契機になったのである。「つくる会」の教科書が2001年に初めて登場し、今年になってまた登場している。2000年代以降の韓国の状況は1982年当時とは大いに変わっているが、日本の場合は逆に悪化している状況である。1999年以来、日本では、急激に右傾化し、人権や平和運動をしている勢力が以前ほど力を持てずにいる。しかし、そうした状況下でも、日本の地域の運動によって新しい歴史教科書の採択率は0.039%のみであったという成果をあげた。2005年には1%内外になるかどうかという状況である。
  韓国は1982年以降20年間、社会問題については大きな課題を抱えてはいるが、民主主義も活発になってきた。歴史問題に関して90年代以降、大きな前進を見せている。最近4、5年は、企業の不正問題や過去清算に関する運動が活発になり、韓国内で歴史を自らどう見るのか激しいやり取りが起こっている。韓国社会の民主主義がさらに高揚する中で日本の歴史歪曲問題にも声を出すようになったのである。つまり反日ではなく、東北アジアの平和を阻害する要素として歴史問題を批判しているのである。そして韓国と日本の市民運動が強力に連帯して反対運動をしている。
  韓国社会が歴史歪曲問題に積極的に反発する理由は、単なる韓国の歴史歪曲の問題だけではない。これは独立した個別の課題ではなく、軍事問題と東アジアの平和問題に直結する大きな一つの問題であると考えているのである。レジュメ資料にあるように、それは「東アジアの平和にとっての脅威であり、戦争ができる国につくる大きな右傾化のプロジェクト」であるからだ。そして日本の戦後の民主主義の後退があり、それは日本とアジア間の対話と共存を阻害する。たとえ「新しい歴史教科書を作る会」の教科書が、結果として何百件の採択でわずかな採択率であったとしても、その波及が大変大きいので私たちは危機感を持っている。
  率直なところ、自分たちがかつて学んだ歴史教科は昔のことなのでどうであったか覚えていない。にもかかわらず私たちが危機感を持っているのはレジュメ資料にあるように「日本とアジア間の和解と共存を阻害」するのからである。
  教科書問題をめぐる日韓市民社会の対応と課題について話すように主催者から依頼を受けたが、なぜ自分にだけ「課題」を話せというのか(会場笑)。それは大変なので、「連帯」という言葉を使ってあいまいにした。現在、取り組んでいて克服できるよう願っている課題を次のとおりレジュメ資料に述べた。
(1) 韓日中をはじめとする東アジア共同体の歴史認識をつくるための努力
(2) 歴史歪曲(過去清算)への対応と平和運動の連帯強化
(3) 日韓の地域間の連携を深める国際連帯の強化
(4) 日本の市民運動の地域別、課題別分断と断絶の克服
(5) 韓国市民運動のアジアにおける役割と貢献の必要性に対する認識の拡大
  ところで、今回の第1部と第2部で取りあげているテーマについて現場で活動するときには、分離され展開されていることが多い。また日本で、歴史教科書問題は、地域に強く根づいた運動となることが多い。日本の教科書は地域単位で採択の決定がされるので自分の住んでいる地域で、一生懸命運動をすれば、良い結果が生まれるのである。
  それで私の団体では、今年の局面を迎えて日本の各地域とパートナーになるために、韓国の各地域を組織して連帯する活動に力を注いでいる。先ほど鄭甲寿さんが日本の長所と韓国の長所が結合したらいいと言っていたが、その例になれると思う。

 みなさん、熱心に聞いてくださったと思う。問題がかなり深刻で、するべきことが多いように思ったのではないだろうか。質問や意見を受けたいと。

発言者1 私は2001年に日本国籍を取得した。丹羽さんへ重国籍の問題を質問したい。韓国籍の人と日本国籍の人との国際結婚が増えて、その結果、重国籍の子どもが増えている。国籍をどちらかに選択するとき問題になっているのが韓国の兵役である。そうしたケースの子どもを持つ親にどちらを選択するか聞くと、本音では兵役があるため日本国籍をとるという。そのあたりの事情はどうか。

発言者2 モンゴル、日本、韓国、中国などを含んだ東北アジアが地域安保条約と安保機構の無い唯一のところだと聞いた。また、米国の世界戦略の一環として日米韓軍事同盟を強化する目的は、中国を封鎖するためだと学んだ。このような現状というのは、まだ東北アジアが冷戦を清算できない結果だとみている。併せて国際連帯が足りなかったと考える。だから今日のような日韓の集まりは相当に意味が深いと思う。
  また、10年20年後の、中国と米国の核の対立を憂慮している。1942年に真珠湾攻撃をしたとき、日本軍は、米国と戦って勝算はないが「生存の次元」で攻撃したとしている。現在、米国の世界戦略は、中東戦争も含めて中国を封鎖するためだとしているが、質問は二つある。一つは日本が推進している平和憲法は、東北アジアの平和に関連して長期的な点でどのように働くのか、二つ目に私は朝鮮半島の平和が東北アジアの平和に貢献すると思っているが、それについてどう思うか。

発言者3 丹羽さんに質問がある。1965年の日韓基本条約が日本国内で、植民地時代に対する謝罪と補償についての特別法を国内法として作るということは単なる主張に過ぎないものか、あるいは議論になっているのか。

丹羽 日韓条約の見直しという問題であるが、私が10年間裁判をしてきたが、日本の政府は日韓条約で解決済みだとして、一切の法的責任は認めていない。その中で、裁判所が立法行為を促す判決が出始めている。それを考えると日韓条約には積み残しの問題があり、戦後補償問題はすべて積み残しの問題である。だから80件も裁判になっている。この問題を具体的に解決するためには個人補償がいる。日韓条約で、経済援助という形で有償無償合せて5億ドルが韓国に渡った。このうち個人補償に使ったのが5.4%にすぎず、在日コリアンには0%だった。戦後補償個人補償という側面が絶対必要だということである。
  実際に在日団体の「民族差別と闘う連絡協議会」が法制定に向けて特別立法の草案を作った。私は2004年の日本弁護士連合会人権擁護大会に向けて実行委員長を務めたが、そこで議論された「人権基本法」の中にその側面を盛り込んだ。またキリスト教団体も「外国籍住民基本法」を求める形で運動をしている。徐々にではあるが、謝罪と清算の側面を入れた立法運動が出てきているといえると思う。

カン 日本の平和憲法については一部で取りあげられたが、自分のテーマに関連して一言発言する。過去の歴史に対し、何が悪かったのか正しかったのかという価値判断する社会を共有する必要がある。それは社会の哲学と最低限の価値と規範に関わる問題である。日本はその作業をやっていない。
  平和憲法9条はそんな中でも、一つの規範位置を占めることができると思う。多くの人が強調しているように平和憲法9条は、侵略戦争や植民地支配について被害者の立場に立って、もうそうことはしないと約束した国際的な公約だと思う。
  日本の歴史歪曲教科書や歴史歪曲発言の動きを主にしているのは憲法改悪しようとする勢力である。それで教科書問題も、結局は憲法改悪が最後の目的である。憲法改悪を可能にさせる歴史認識を持たせようとしているのだ。韓国社会ではこの問題を外国の問題とは考えず、自分たちの生活を脅かすものだとして対応している。日常的に韓国、日本、中国の三ヶ国で連帯して活動している。活動の中でも感じ、東北アジアの国を回っても感じるが、アジア社会では、韓国の市民社会の役割が大きいと思う。また脅威を増すような方向に進み、以前より平和勢力の力がなくなっている日本。そして市民社会が国家の中で大きく動いている一方、資本の側が覇権主義にいくのかどうするのか、岐路に立っている中国。韓国社会は問題だらけであるが、10年20年の単位で見れば、人類の普遍的な価値を実現し、拡大する方向で進んできた。そうした意味で、私たちはアジア内での位置を自覚して、共同の課題を対し、共に市民社会としての役割を果たすべきである。

 発題者、通訳のみなさんに感謝する。今後とも参与連帯軍縮センター、アジア・太平洋人権情報センター、コリアNGOセンター、この三つの共催団体が連帯して取り組んでいくことができればと思う。
(以上、当日の記録に基づき事務局が編集)