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インドスタディツアーを終えて

清水奈保子

  ツアー中、集合時間までまちをぶらぶらと散歩したことがあった。すれ違う人々はほとんどが男性で、そういったところにも女性の地位の低さを垣間見ることできたように思う。女性はやはり家の中にいるのだろうと想像がついた。
  インドではほとんどの女性がサリーやバンジャビドレスといった美しい衣装を身にまとっていた。私はインドを訪れるまで、まさかこんなにも多くの女性がサリーやドレスを身にまとっているとは思っていなかった。それは日本人女性が今でも着物を着ていると外国人に勘違いされることと同じなのだろうと思っていた。だが、実際にインドの女性はとても美しく、私は何度も目を奪われることがあった。
  ツアー三日目、私たちが訪れたナリ・ラクシャ・サミティは女性と子どもの保護施設である。私たちが直接話を伺うことができたのは、持参金問題や夫の暴力に悩む二人の女性であった。彼女たちは私たちとあまり目を合わせることもなく、小さな声で話をしてくれた。持参金問題は今では解決傾向にあると思っていたが、問題のさなかにいる当の本人にとっては問題の総数が減ることなど、なんの関係もないことを実感した。問題を抱える女性がナリ・ラクシャ・サミティを訪れることは、例えば私がひとりで知らない地を訪れるよりずっと勇気がいることなのだろうと思う。
  その日、次に私たちが訪れたのはG.B.road、売春婦たちが住む地域だった。足元もみえないような暗い階段を上るとたくさんの女性が暮らしていた。一見するとそうは見えないが、彼女たちは夜になると窓から鐘をならし、売春婦へとなるのだという。子どもを抱く母親もいた。「ナマステ」と挨拶をする私たちに彼女たちは笑顔で答えてくれた。日本で売春というと世間から蔑視されるが、私は彼女たちをそんな目で見ることはできなかった。決して彼女たちは同じではない。彼女たちはきっと、やっとで生きているのだ。人身売買によって各地から集められ、売春婦としてしか生きられない彼女たちを誰も恥ずかしいとは思えない。
  私はインドでいろんな女性に出会うことができた。子どもを抱え、道端で物乞いをする女性もいれば、訪問先で代表者として立派に働く女性もいた。これがインドなのだろうと思った。カーストの慣習をひきずった階級制度はまだまだ根強く残っており、中でも女性の地位が低い。しかしハイカーストであれば女性でも立派な職に就くことができるようだった。
  ツアー後半、部屋を共にした参加者とインドのカースト制度について話したことがあった。カースト制度による貧困をなくすことは不可能だという人もいるのだという。だが、不可能だと言ってしまえばそれまでで、私はそうは言いたくなかった。確かに、私もインド滞在中、カースト制度の慣習をインド人の誰もが持っており、それは根強いものだということを実感せずにはいられなかった。どのNGOを訪れても、カースト制度をなくすことを訴えられることはなかった。彼らはきっとカースト制度の上に成り立つ現状を改善しようとしてはいるが、彼らの目標はカーストを失くすことではないかもしれない。問題を解決するには、資金や技術だけでは足りなく、意識が変わらなければ難しい。持参金を求めることはおかしいという意識や女性より男性の方が尊いという感覚をまず彼らから失くさなければならない。しかしハイカーストの人々は問題意識を持ちにくい。だからインドの貧困をなくすことはとても困難であるのだろう。だが、ナリ・ラクシャ・サミティだけでなく、SEWAを訪れたときも、人々が力をつけ始め、これからもより力を身につけようと必死に戦う姿を見ることができた。これから、インドはもっと改善されていくだろう。10億人が力をつければきっと改善されるだろう。
  ツアーに参加して、実際にインドの地を踏み、何度も鳥肌が立つことがあった。やはり本の上での勉強では実感を伴うことは困難であり、今回のツアーに参加し、多くの驚きを感じられたことに感謝したいと思う。