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タイ・スタディツアーに参加して

界外吉弘

  この度、「ヒューライツ大阪」企画のタイスタディツアーに連れて行ってもらった。
  耳が遠くなり、日々の会話もあらましの受け答えで済ませている田舎爺がついて行っても足手纏いで迷惑だろうなと思いながらも...
  先年の、第39回全日本仏教徒会議滋賀大会の分科会「仏教徒による国際貢献~今求められるNGO活動と国際交流~」において、秦辰也シャンティ国際ボランティア(SVA)専務理事様が話された、バンコクスラム街の方々の事と重ね合せながら、是非にと思い立ったのであった。
  そのお話とは、――仏教国タイでは、慈悲喜捨の精神を小さい時から、家庭や学校で学んでいる人達が多い。一〇年余り前の阪神淡路大震災の時、バンコクに沢山ある都市スラム街の、水道も電気も充分通っていないような本当に底辺の生活をしている人達が、大勢集まって、今、日本は震災で大変らしい。米も不足しているという。タイ米を送っても捨てられるのなら、救援の募金をしようではないかと、何度も何度も会議を開いて、ドンドン呼びかけを拡げてくれた。そしたら驚くなかれ、小学校の人達や、日給が日本円でせいぜい三〇〇円位の方々が、惜しげもなく一〇〇円、二〇〇円と出し合って、集まったお金が何と四五〇万円。「是非これを阪神の人達に届けて欲しい。」と秦夫妻に託されたとの事であった。―――
  三月三日、先ずは、バンコクからオンさん(プラティープ・ウンソムタム・秦=ドゥアン・プラティープ財団事務局長=の姪)に同行してもらって、カンチャナブリ「生き直しの学校」を訪問した。
  学校に着くなり、少女達が私達の胸に小花の飾を着けてくれ、歓迎の言葉と踊りで迎えてくれた。
  この子達は、貧困、家庭崩壊、家族暴力、放浪、性的虐待、麻薬、エイズ...... 多くの困難な出来事との関りをどのように越えて、どのように護られてきたのであろうか。瞳を行き交せた子達の口元の笑みが今も私の瞼を離れない。
  タイ国最大のスラムと呼ばれるクロントイで、プラティープ先生姉妹が、学ぶことこそ生きる礎と、親が働きに出ている間、子供達の教育のために「一日一バーツ学校」の塾を創めて四〇余年。一〇年後の一九七八年にはマグサイサイ賞(社会福祉部門)を受賞。それを基金として、ドゥアン・プラティープ財団を設立し、スラムの子供達の教育に尽くされているとのことである。子供達が、自らの人間観を立て直し、将来を熟慮して、自他を大切に、生き直しの道を創り出そうと励むように、と、その導きに苦闘されている有様の一端を伺うことができた。環境問題や学校運営の自立も視野に、アブラヤシや種々の作物の栽培にも努めているとのことで、農園も案内してもらった。
  三〇度を越える畑地であったが、小学五年生でやや小柄な男の子・レツ君が日除けの傘を差し掛けながら同行してくれた。デコボコの多い畑道のこと、度々よろけそうになる私に、手を差し延べたり、体で支えるように寄り添ってくれたり、時には顔を弾きそうになる垂れ下がった小枝を背伸びしながら掻き分けてくれたりと、非常な気遣いをしながら最後まで付き添ってくれた。何とも心温まる忘れ難いひと時となった。この子の様な「人となり」がどのようにして育まれたのであろうか。私も「学び直し」「生き直さねば」と別れを惜しんだのであった。

  次に訪問したのは、メーソットのミャンマー難民キャンプであった。タイ陸軍の管理下で、山間地の急な斜面や谷間に一九六〇〇人余のカレン民族の人達がキャンプ生活をしているのである。外に新流入者が二〇〇〇人。内、八〇〇人弱が新難民申請中とのこと。未認定のうちは、住居や食料は原則無支給。委員会の気転で、配給の残余分を調整して分配しているという。それでも一〇〇〇余人の人達は、親戚等に身を寄せながら、自前の稼ぎで家族の食料等を調達しなければならない。警備の関係で移動もままならない中、周辺村で日銭を得て凌がざるを得ないのだという。
  困苦に耐えて、職業訓練で技能を身に着けた人達には、第三国定住の道もあるという。
  アメリカ、オーストラリア、スゥエーデン、ノルウェーイ、ニュージーランド、カナダ、イギリス...... 受入れを表明している国だという。......なぜ日本が無いのだろう。
  「日本は、『人権』『人権』と『人権メタボリック症候群』に犯されている。」(と言われる程に人権施策が充実し、人権認識が高い国柄である)と、大臣様の言葉があったばかりの国なのに。...なぜ...なぜ...なぜ...
  《......太平洋戦争の最中、日本兵から残虐な仕打ちを受けて心身の傷を負ったまま暮らしているカレンの人達がいる。しかし、敗戦後、元日本兵を助け、カレン民族の村でかくまったという難民がいる。カレン人に助けられ、国境を越え、現在タイで生活している元日本兵もいる。......
  今を生きる日本人の一人として、過去の歴史を受け止め、カレンの人々の為に出来る限りの力添えをすること。それが彼らへのせめてもの償いになるのではなかろうか......》
  =ミャンマー難民事務所長中原亜紀さんのレポート「アジアの子どもたちに教育を...」(2005/6・2005/10)から=
  このキャンプでのSVAの活動は、図書館の建設、図書の管理、読み聞かせ、お絵描き、工作、折紙、ゲーム、歌等の文化活動、伝統舞踊、楽器演奏等カレン民族の文化継承を目指した伝統文化活動、人形劇(キャラバン)活動、高齢者の活動、移動図書館、出版活動等々と実に多岐に渡っている。
  五坪余の図書室で、明取りの天井窓からの光に映えた四~五〇名の子供達が、先生の読み聞かせる「絵本」に目を輝かせて見入る光景は、これらの活動の値打ちの大きさを如実に語っているように思えた。
  「学び直し、生き直さねば」の思いに駆られることの多い、有難く、かけがえの無い一週間であった。