〜反人種主義・差別撤廃世界会議に参加して〜
世界会議で、カースト差別撤廃が行動計画に組み込まれるようにアピールするインドのダリットの人々
世界の隅々まで複合的に交差する様々な差別を撤廃していくことをめざした反人種主義・差別撤廃会議が、8月28日から9月8日まで南アフリカ共和国のダーバンで開催された。国連を軸にして、国際社会が人種差別の予防策や教育、被害者保護、救済、補償などを話し合うための会議であった。約150カ国から政府、NGO 関係者ら8000人以上が集まった。
しかし、結論から言えば、「“差別”の国際ネットワーク」はやはり頑強であった。各国・各地域の政治的・経済的な利害が複雑に入り組みあい、アメリカとイスラエルの代表団の引き揚げもあり、会議のめざした合意水準は、準備段階で提案されていた内容からかなり後退して決着したのである。1997年の国連総会で決まり、幾度もの準備会合を積み上げてきたにもかわらずそうした結果に終わった。ダーバンを舞台に国際社会を揺るがした世界会議の12日間を、傍聴したひとりとして振り返りたい。
■ 多彩なテーマのNGOフォーラム
日本から飛行機を二度乗り換えて24時間後の8月28日昼前、ダーバンに到着した。私たちヒューライツ大阪から派遣された二名は、世界人権宣言大阪連絡会議の参加団に加わり、部落解放同盟の参加団と合流して、世界会議の第一段階として8月28日〜9月1日にかけて開かれたNGOフォーラムから参加した。
NGOフォーラムは、地域で活動する草の根から国際的な分野で活動するNGOが、差別撤廃を幅広く市民社会に訴えたり、政府間会議への政策提言のための情報交換や議論を目的としていた。
主会場となったクリケット・スタジアムの敷地内に設営されたいくつものテント内や市内各地で、民族、宗教、ジェンダー、性的指向など様々なテーマのシンポジウムや討論会が連日数え切れないほど開催され、各地の人権状況や活動の報告が行われた。NGOフォーラムの終わりには、政府間会合に対する働きかけの基礎となる宣言や行動計画が採択された。しかし、世界会議の事務局長を務めたメアリー・ロビンソン国連人権高等弁務官は、イスラエル非難のトーンが強すぎ、これでは各国政府代表に推薦できないとして、受け取りを拒否したのであった。
NGOフォーラムの期間中、アジア・太平洋テントで行われたパネルディスカッション
■ 壮大なテーマに挑んだ世界会議
8月31日から世界会議の本番である政府間会合が国際会議場で始まった。人種差別撤廃を話し合う世界会議の開催は、実は78年と83年に次いで今回が3度目。これまでの会議の主要なテーマは、南アのアパルトヘイト(人種隔離政策)の撤廃であった。94年に黒人政権が発足しアパルトヘイトを倒したその南アで、今度は世界における人種差別撤廃が議論されるという歴史的意義をもっていた。
この会議は、その正式名称が「人種主義・人種差別・外国人排斥・関連する不寛容に反対する世界会議」という長さで示されるように、担うべきテーマの幅が広かった。
そのなかには、これまで国連でほとんど議論されたことのない過去の植民地支配や奴隷制に対する旧植民地国に対する謝罪・補償の要求や、紛争が続くパレスチナ問題も含んでいたのである。
この二つの難題は当初から議論の紛糾が予想され、マスメディアの注目も集まりとりわけ突出した形で会議が進んでいった。実際、会場の敷地内で、アフリカ人やアフリカ系アメリカ人などが数百人単位でデモを行ったり、パレスチナ人とユダヤ人が激しく口論する場面に幾度も出くわした。
■ 草の根から国連へ
世界会議は当初からNGOの参加を奨励していた、はずであった。だが、政府間会議が始まると、建て前とは裏腹にNGOを間接的に排除するかのような姿勢が明らかになっていった。事前に認可を得ていたにもかかわらず、会議場に入るためのIDカードや入場許可証を得るための長い列ができたのである。私たちは、初日は1時間半並んだものの、いつになるかわからないため入場を断念、翌日は早朝から4時間半待ってようやく入場がかなったほどである。
全体会が行われている大ホールに入って驚いた。NGOに割り当てられた後部座席はがらがらの状態だったからだ。それなのに、許可証は毎日並んで受け取るというシステムが最後まで続いたのであった。
会議は、各国政府が意見表明する全体会、そして宣言および行動計画を政府代表が審議する起草委員会、それらと並行して行われるパネルディスカッションなどからなっていた。
入場の困難さにもかかわらず、NGOによる政府代表に対するロビー活動が宣言と行動計画の内容をめぐり積極的に行われた。会議の終わりに採択されるこれらの文書は、法的拘束力こそないものの、ある程度縛りがかかる国際的な合意事項となるからである。
過去の清算とパレスチナ問題が際立つムードの中で、なんといってもその存在感を強烈にアピールしたのがインドからのダリット(被差別カースト)の「全国ダリット人権キャンペーン」一団であった。様々な組織をあわせると200名を超えていた。会場の外では、デモやハンガーストライキで実態を訴え、中では核になる活動家が何人も手分けして行動計画案のパラグラフ73の採択支持を各国政府に働きかけていた。73の趣旨は、「政府に対し、職業と門地(世系)に基づく差別を禁止し、適切なアファーマティブアクション(積極的差別是正措置)を含むすべての必要な憲法的、法的、行政的措置をとること」などを求めたものであった。この動きに欧米のNGOや、日本の反差別国際運動(IMADR)、「職業と門地に基づく差別」という点でカースト差別と問題を共有する部落解放同盟が連帯し、ロビー活動面でも協力しあった。
また、他のアジアからのNGOも多く参加していた。この会議では、とりわけNGOの多くはジェンダーの視点を主要な課題にしていたことから、女性の姿が目立った。
■ 防御で固める政府側
一方、財政負担や人権政策においてアクションを迫られる立場の政府の防御姿勢は一貫して強かった。起草委員会においては、ささいな文言に至るまで議論がかみあわないことが多かった。本来なら閉会しているはずの9月7日の夕方になっても60以上のパラグラフがペンディング状態であったため、閉会が一日延びてしまったのである。そもそも紛糾した項目は当該政府による非公開の会合に持ち込まれ、結果だけが知らされるというプロセスをたどっていた。
結局、アフリカやカリブ諸国による補償要求を西側がはねのけた。イスラエルを名指しで非難する項目も削られた。そして、「アジアの大国」であるインド政府の猛烈な反対によって、粘り強いロビー活動のかいもなく、パラグラフ73は時間切れで抜け落ちてしまったのである。インド政府は、国内でのカースト差別の存在は認めるものの、これは世界会議の議題に相当しないと主張していたのだ。
日本政府はこうしたなかで、「職業と門地に基づく差別」が扱われることじたいには反対しないものの、これを含むどの課題に対しても、まるで他人事のように沈黙を通していた。ただ、韓国政府が全体会の政府声明のなかで、従軍慰安婦問題と現在の歴史教科書問題に関して日本政府の対応を批判したのを受けて、「日本の過去の植民地支配と侵略について深く反省している」「日本政府は、歴史教育を通して第二次世界大戦が人類すべてにもたらした災難を生徒が理解するよう求めている」と日本政府代表の丸谷佳織・外務大臣政務官が、声明で反論を加えたのである。
政府間会議の全体会会場
■ 反差別の国際ネットワークを
いま急速にグローバル化が進行している。そのなかで、差別の表れ方もグローバル化し、様々な差別が幾重にも連関している。今回の世界会議において、絶え間ないロビー活動にもかかわらず、NGOは宣言や行動計画への反映といった点において、確かに成果をあまりあげることができなかった。しかし、世界のあちこちに根を張る草の根組織が、世界会議を舞台にした国連で、その連携を強めたことは確かな事実だ。「反差別の国際ネットワーク」を築いていく着実な一歩を踏み出した。
(藤本伸樹)
■ アジア・太平洋地域のNGOの動き
アジア・太平洋地域のNGOは、2000年10月に組織された調整委員会が中心となって、このダーバンでのNGOフォーラムおよび世界会議にむけて準備を進めてきた。
ダーバンでのNGOフォーラムではかなりの準備不足があったものの、まずは世界地域ごとに設営されたテントにおいて、アジア・太平洋地域の人権課題を網羅したプログラムを組み、パネルディスカッションやワークショップ、ビデオ映写などを行い、アジアの課題をアピールする形になった。
調整委員会の集まりも何度かもたれたが、フォーラムでは並行して多くの取り組みがあったため、メンバーが多くはそろわなかった。
そんな中でも、テーマや地域を単位とし政府間会議でロビー活動やNGOの意見発表をするためのコーカス(幹部会)が組織され、調整委員会のメンバーも「アジア・太平洋コーカス」を組織した。
政府間会議の期間に入り、調整委員会は、地域のNGOに呼びかけ、世界会議に至るまでのプロセスを振り返る集会を開いた。集会には30人ほどが集まり、世界会議後のフォローアップ(事後活動)として、各国の行動計画の実施状況のモニタリングやNGO間のネットワーク強化、とくにロビー活動のトレーニングの必要性が討議された。ホームページ(ヒューライツ大阪が担当)についても、引き続き上記の目的に沿って継続していくことが確認された。
そのほか、調整委員会は、アジア・太平洋地域の人権問題についてメディアへの会見を行った。ここでは特に地域の中でも認識の薄い問題を取り上げることとし、インドネシアの民族問題、中国のチベット問題、パキスタンの宗教的マイノリティの問題、ブータンの難民問題、マレーシアの民主化運動の課題について、代表がそれぞれ会見した。メディアを含む20人ほどの参加があった。
政府間会議の全体会のNGOの意見発表の時間には、アジア・太平洋コーカスを代表して調整委員会のメンバーがスピーチをした。
■ 日本のNGOの取り組み
日本のNGOの連合体である「ダーバン2001」は、NGOフォーラムにおいて日本の人種主義を知らせるワークショップを開催し、併せてメディアへの会見も行っている。政府間会議においては日本国政府との情報交換の場を設定した。また、日本政府の世界会議全体会におけるスピーチの内容について評価と批判を行い、記者会見も開いた。日本からのNGO は各組織あわせると約100名参加した。
(川本和弘)
世界会議についての参照ホームページ:
ヒューライツ大阪 https://www.hurights.or.jp
ダーバン2001 http://www.durban2001.org
反差別国際運動 http://www.imadr.org/japan/index.html
(この文章はニュースレター第39号からの抜粋です)