国連反人種主義・差別撤廃世界会議(南アフリカ・ダーバン)
直前フォーラム

草の根と国連の人権活動をつなぐ

〜反人種主義・差別撤廃世界会議の展望〜

 

発題:武者小路公秀(むしゃこうじ きんひで)

 (反差別国際運動 [IMADR] 事務局長、ヒューライツ大阪会長、中部大学教授)

報告


8月7日午後6:30より、反人種主義・差別撤廃世界会議(南アフリカのダーバンで8月下旬より開催)の直前フォーラムとして、反差別国際運動(IMADR)の武者小路公秀さんを発題者として、世界会議の意義、草の根の人権活動と国連での人権活動などをテーマに、討議の場を持ちました。

大阪梅田の大阪産業大学サテライト教室で開催したフォーラムには約40人の方が参加しました。

以下は、武者小路さんの発題、および参加者との意見交換をまとめたものです。約1時間40分にわたるフォーラムでの発題・討議をできるだけ多くの方々に共有していただくために、討議の様子をまとめてここに掲載いたします。みなさんのご関心に役立てれば幸いです。

2001年8月25日、ヒューライツ大阪 事務局

(武者小路さんの発題)

ダーバンでの会議の内容については、皆さんのお手元に配られている資料を参照いただければと思います。目的やテーマもそこに出ています。後の討論の時間でも、細かい点でご質問などがありましたらできる範囲でお答えしたいと思います。

今日はむしろ、事務局の要望に従いまして、これも別の資料にありますように、私が書いた「北京プラス5から2001年人種主義反対差別撤廃会議へ〜草の根と国連とをつなく立場で〜」という論文の中で述べた、人権運動の「前衛と後衛」ということについて中心にお話しします。つまり、現場の運動とダーバン会議のような国連会議をどうつなげるかというようなことを問題提起したいと思います。

ダーバン会議などの世界会議は、それ自体が大事だというのではなく、それが現場の運動に役に立てば役に立つ会議だし、役に立たなければ役に立たない会議ということになります。現場でどのように国連の会議を使うかという視点で問題を提起したいと思います。

また、ダーバン会議一つだけをとって、これが役に立つとか立たないとかいうことを見ることはしません。ダーバンでの会議以外にも国連ではいろんな人権のための活動がされています。人権委員会などが一例です。また、日本が人種差別撤廃条約に参加批准しているということで、日本政府から定期報告が作成され、それに対してNGOがカウンターレポートを出し、いろいろと議論する人種差別撤廃委員会の会議が3月にジュネーブでありました。

例えばこの会議で出されたいろんな問題はジュネーブだけでなく、ダーバンの会議でもまた出てきます。そういった流れの中で当然日本政府はジュネーブで出された問題をまたつつかれることになります。つまり、国連のプロセスがあって、その流れのなかでダーバンの会議があるわけです。それを理解していただいた上で、この会議がどういう意味を持っているかということを取り上げていきたいと思います。

その前に、国連の流れと現場の運動がどうつながるのかという具体的な例を挙げるようにという事務局の要望がありましたので、そこからお話ししたいと思います。

資料では「北京プラス5から2001年人種主義反対差別撤廃会議へ」と書きましたが、まず、具体例の一つとして、1995年に北京で開かれた第4回国連世界女性会議と現場の動きとどうつながっていたかというわかりやすい例を述べます。それは直後に沖縄で起こった米兵による少女のレイプ事件です。レイプ事件はそれまでにも何回も起こってきたことでしたけども、泣き寝入りしてきました。しかし北京の女性会議で、女性に対する暴力と闘わなければいけないということが決議されて、そこから帰ってきた女性が中心になって、これは許せないということで、つまり、北京会議の決議というものが支えになって、あれだけ大きな抗議の盛り上がりがでてきました。今度のダーバンの会議で同じ様な盛り上がりがあればいいと思いますが、それができるかどうかが一つの課題になると思います。

もう一つ同じような女性に対する暴力の例は、今度のダーバンの会議でも、女性に対する差別と人種差別との組み合わせの「複合差別」の問題として大きく取り上げられますので、そういう意味では今度のダーバン会議でも北京会議と同じ様な盛り上がりが期待できるのではないかと思います。

もう一つの例は「従軍慰安婦」問題です。この問題が日本の中で盛り上がったのは、韓国やフィリピンなど外国での運動が盛り上がったことに応えたという運動同士のつながりが背景にありました。それと関連してもう一つ国際的な世論が形成されたのは1993年のウイーンの世界人権会議で、ウイーンに近いボスニアでの民族浄化の問題が取り上げられたことがあります。紛争時の女性に対する暴力に対するすごい怒りが出され、その中で、「従軍慰安婦」問題も同様に女性に対する暴力として取り上げるべきだと盛り上がって、それがどんどん広がっていったという背景があります。「従軍慰安婦」問題がその後も国連の人権委員会で取り上げられたということがあり、そのおかげで、「従軍慰安婦」問題はいろんなところで火をつけることに役に立ちました。ベトナム戦争時の米兵によるレイプの問題であるとか、アルジェリア戦争の時の問題も出てきましたし、パキスタンからバングラデシュが独立した時の紛争における問題も出てきました。いろんなところでこの問題が広がってきて、紛争時の女性に対する暴力の補償問題が盛り上がりました。そのことが再びダーバンで出てくるかどうか分かりませんが、ダーバン会議での一つの大きなテーマとして、補償問題、賠償問題が出てきています。日本を含めた先進国がそれをいやがっています。

一方、日本との関わりのある問題として他にもディセント(世系・門地)差別とダリット(南アジアの被差別カースト)差別の問題があります。国連人権小委員会によって、職業をともなうカースト差別は人種主義的な深刻な人権侵害であるという確認が出され、この問題はすでに盛り上がっていますが、これをダーバンに持ち込んで、さらに問題や闘いを世界的に盛り上げようという動きがあります。「従軍慰安婦」問題の場合は日本政府は抵抗したのですが、抵抗しきれなかった面があります。しかし、今度のディセント(世系・門地)差別の場合はインド政府が日本政府とともに議題に取り上げることに反対しています。このディセント差別の問題は非常に大事であるということはNGOのレベルでは世界的に確認されていますが、政府レベルでは抵抗がかなりあります。スイスなどいくつかの国がその問題が大事だといってくれていますが、かなりの厳しいせめぎ合いがあります。

そこで申し上げたいのは、国連で会議があって、結構な決議が出て、それを「みんなで利用しましょう」という話になるというのではなくて、実は、国連という場所は差別と反差別がぶつかる場所であるということです。そこですべていいことが出てくるわけではないのです。

実例はこれくらいにして、ダーバンの会議というものがどういう状況の中で開かれるのかということについて簡単に問題提起をしたいと思います。時間がありませんので、不十分な説明になって申し訳ありません。あとから説明が必要でしたら説明したいと思います。

多少話をおもしろくしすぎるかもしれませんが、ダーバンでの会議は最後の国連の世界会議であるといえると思います。国連では90年代に入ってグローバルな問題についての世界会議をいくつか開催してきました。92年のリオでの環境問題、93年にウイーンでの人権問題、94年にはコペンハーゲンでの社会開発サミットとカイロでの人口問題の会議、95年には北京女性会議、そして96年にはハビタットII・居住会議がありました。一連のグローバルな会議はとてもよかったのですが、国連の立場からすると金がかかりすぎるということが一つあります。そして、もう一つは、NGOがだんだんと国に対していろいろ文句をつけるということで、国の側で警戒心が強くなっているということがあります。あまり注目されていませんが、かなり大事なこととして、例えばグローバル経済の会議に対してNGOがデモをするということがだんだんに盛んになっています。WTOの会議に対するシアトルでのデモが注目を集めましたし、イタリアのジェノバでのG7の会議の際は死者が出ました。暴力的な団体もありましたが、非暴力の人たちも怪我をしたり、かなり深刻な状況が生じています。NGOと政府の蜜月の時代は終わりを告げようとしている状況があります。今までのようにNGOが盛り上げて、政府もそれに耳を貸して、かなり楽な形で行動計画を作るという雰囲気がだんだんになくなりつつある。ダーバン会議はそういう段階の中で開催されます。

二番目には、逆に、国連の一連の世界会議が今までありましたが、その中でも「きれいごとでない」はじめての会議であるという特徴があります。「きれいごと」というのは変な言い方ですが、例えば、環境問題、人権問題、社会開発問題といろんな問題について政府の側では、各論では文句は付けますけども総論としては、それらは大事な問題であるという立場をとらざるを得ないということがあります。そして、人種主義もまた、立場上反対をしないわけにはいかないとすべての国が考えています。しかし、この会議を開くことを最初に提案したのはアフリカの諸国で、会議はアフリカの地で開かれます。これまでは、人権会議にしろ、他の会議にしろ、NGOがいろいろ関わってはきたものの、先進国がNGOを受け入れて、スカンジナビアとかカナダとかヨーロッパとか、先進国のどこかの政府がイニシアティブをとった訳ですが、こんどの場合はそうではない。はじめて開発途上の国々が中心になって人権問題を取り上げる。先進国のお株だと思われていた人権問題がそうではないという、おもしろい状況が出てきています。

その場合に、先ほどお話ししたように、人種主義によって人権を侵された人々に対する補償という問題が出てきているということです。これはかなりはっきりとした立場、つまり今のグローバル化の中でいろいろな人種主義の問題が出てきているけれど、その起こりは何かというと、奴隷制と植民地主義である、奴隷制と植民地主義が今の人種差別の根にあるという主張が大前提になっています。そういう歴史的な流れというのはアフリカで特に主張されていて、日本は関係がないとつい思ってしまいそうになりますが、よく考えてみると日本の人種主義はやはり侵略と植民地支配が根にあります。それから奴隷制はないみたいに見えますけども、「従軍慰安婦」問題はりっぱな奴隷制、性奴隷制の問題であるということを我々は認めなければならないと思います。もちろん日本政府はそうは認めないと思いますので、そこにギャップがかなり出てきますが、それは日本だけではなくて、ヨーロッパの国々、特にアメリカはそのことを非常に気にしています。はっきりとした結論は出ていないとは思いますが、アメリカ政府が世界会議をボイコットするという話があります。これは、世界会議で補償問題を議論すべきではないということ、もう一つは、パレスチナは新しいアパルトヘイトの問題であるということで、パレスチナに対するイスラエルの政策は人種主義であるという捉え方が、アラブ諸国の間でかなり出てきているということで、パレスチナ問題を取り上げることに対する反対があるわけです。そういうことで、争点となる問題が議論され、「きれいごとでない」会議をつくり出しています。

日本ではなかなかNGOの間でこの会議が注目されていませんけども、注目している団体は「ダーバン2001」というネットワークをつくって準備をしています。会議は政府でも違う意見があるように、NGOの間でも違う意見があるということを先週、私はマニラに行った際に感じました。というのは、フィリピンでは、マルクス主義を基礎にする運動や、マルクス主義を基礎にしない運動、そしてキリスト教を基礎にする運動もあって、いろいろな複雑な絡み合いがあり、例えば移民問題についてはNGOの中でも三つの立場に分かれていて、必ずしもみんなが一致して人種主義に反対する行動をできていないという状況が残念ながらあります。ダリット(南アジアの被差別カースト)の問題を含めてディセント差別についてはインドの「御用NGO」が一生懸命反対しています。もちろん、これは一部であって、他は幸いよくまとまっています。世界会議のアジア地域準備会議がテヘランであったときにそういった政府の「御用NGO」によってディセント差別を取り上げることへの反対がありました。北京の女性会議やウイーンの人権会議ではそれほど大きな対立はなかったのに対して、この人種主義の会議ではかなりの対立を生んでいるという状況があります。

そこで、これはかなり乱暴な整理をすることになりますが、このような状況のなかでは、人権活動の「前衛と後衛」という問題がかなり大きく出てくると思います。これまでも国連では人権委員会などいろんな場所で、賠償の問題や、女性に対する暴力と人種主義の結合した状況の問題、人身売買などのいろんな問題が取り上げられてきました。そして、そういう問題が集中的に議論されるというところにダーバン会議の特徴があります。世界会議に向けて、反差別の国際運動が頑張ってダーバンで何かしようとしているのですが、実はそれ以前に「差別の国際運動」というものがむしろあって、それは表にはあまり出ませんが裏ではつながっているという状況があります。今のグローバル化の経済、自由放任主義の経済をすすめていくということは、つまり、「競争して負けていく者は差別される」というだけではなく、「差別されている少数者は競争に最初からうまく乗れない」という性格をもつ経済を進めているのです。それをアメリカを中心とし、日本も含めた先進工業国が支え、軍事化とか警察の強化とか、いろんな問題が関連して出ています。グローバル化しているのは経済だけではなく、沖縄の基地の問題とか、中国で不時着をしたアメリカのスパイ機の問題とか、あるいはミサイルの防衛計画などの軍事的な措置や警察の措置が、実は全部今のグローバル経済を支えるために出てきている。差別をする方向にいく運動が残念ながら盛り上がっているのです。「小泉旋風」もその盛り上がりをうまく利用しているところがあるのではと思います。

そういう「差別の国際運動」と「反差別の国際運動」というものの二つがどういう風に闘っているかということについては、グラムシーという理論家の言葉を借りますと、「塹壕戦」だということができます。つまり、一気に相手をやっつけるというのではなく、塹壕の中で隠れながら相手を撃ったり、塹壕をどんどん広げていく闘いです。NGOのほうもネットワークしていくけども、一方、「差別の国際運動」のほうも塹壕を広げていく、そういう形の闘いが行われているといえます。

草の根の運動である「前衛」、例えば日本では部落解放運動とか、在日コリアンの運動とか、アイヌ民族の運動とかは、グローバル化する前の昔でしたら自分たちだけで闘うことができました。つまり塹壕を広げる必要はなかった。ところが、今は塹壕を広げていかなければなりません。例えば、アイヌ民族は世界の他の先住民族とつながり、在日コリアンの闘いは世界のいろんな場所の定住外国人の闘いとつながらないと、相手側のほうが強いわけですからうまくいかない。横のつながりが必要になります。

差別と現場で闘う「前衛」にそのような状況がある一方で、国連を舞台とした「後衛」の運動が、何をするべきか。これは非常に乱暴な言い方ですが、国連でやっているのは要するに平和交渉をしているといえます。どういうルールを作って、どういう形で差別というものをなくしていくかというのが我々の運動ですけれども、差別をする側にとっては、どこまで差別をしないことを約束するかということが問題になります。そういう形での交渉が行われる所というのが国連であるといえます。だから、国連で何か有り難い決議をしてくれるとは限らず、むしろかなりの妥協をしながら進められていく。ダーバンはその典型ですけども、そのような中で、差別と闘う「前衛」に役に立つような決議をどのようにして出してもらうかとか、行動をするように働きかけができるかというのが「後衛」の運動となります。

そして、具体的な決議をしても実行されなければ意味がないので、ダーバンでの決議、あるいは北京での決議など、いろんな会議の決議は例えば五年後に報告をして、どこまでその決議を守ったかということを政府が報告しなければいけないという報告制度があるわけです。政府に対してはNGOが「これを約束したのにやってくれていないではないか」という文句を付けることができる。そういう形でNGOは行動計画をうまく利用して政府に対する要求をつきつけ、運動ができるということがあります。ただ実は良い行動計画がいままではありましたが、果たしてダーバンで良い行動計画ができるのかというと、実はできない可能性もあります。そういうことを今から言うのは敗北主義ですが、仮に、例えばディセント(世系・門地)の問題が、インドや日本政府の力によって行動計画に出なかった場合があったとしても、少なくとも人種差別撤廃条約を守るということは今度の決議に出ますから、条約にはっきり出ている問題が行動計画にないではないかと訴える運動をする必要性も出てくるわけです。今までは出てきた行動計画を完全に実施しろという運動でしたが、今度は行動計画自体の不十分な点を訴えるような運動も必要になってくるかもしれません。

ということで、ダーバン会議の話をするのに、ダーバンではすごくいい決議が出て、それを持ち帰って草の根レベルでの活動に大いに役立てましょうというもう少し景気のいい話をできればいいのですが、問題はもっと深刻な状況にあります。だったらダーバンの会議なんかどうでもいいと考えて、それで済めばいいのですが、やっぱり差別の問題というのは国境を越えてつながっている。だから平和交渉だか何だかわかりませんが、「後衛」のやっていることに対して「前衛」の皆さんがいろんな要求をしていただいて、ダーバン会議以後の運動のなかで、それを国連を中心とした国際的な反人種主義の運動や、日本の中のそれぞれの現場の活動にどうつなげていくかということを今から考えていただけると有り難いと思います。

ということで、非常に景気の悪い問題提起をしましたが、みなさんからのご質問やご意見に応じましてもう少し景気のいい議論ができればと思います。

 

(事務局)

短時間で発題をお願いしたことをまずはお詫び申し上げます。国連世界会議の草の根の現場への具体的な表れ方の例であるとか、ダーバンでの世界会議の特徴、きれいごとではない議論がされる会議であること、差別の運動が裏でできつつあるという潮流、グローバル化とのつながり、そして「前衛と後衛」という先生の考えなどをお伝えいただきました。

今回のフォーラムには、現場で人権運動と関わる方々にも呼びかけをしてきました。反差別国際運動(IMADR)の設定している世界会議の意義には、「日本民族以外のアイヌ民族、沖縄/琉球出身者、在日朝鮮・韓国人、移住者・移住労働者に対する差別や排外主義、そして日本特有の部落差別に反差別の連合で対抗するよい機会となる」とあります。これをここで出された「前衛と後衛」ということで考え、できるだけ大阪の地、関西の地の現場で人権に関わる活動をされている方々に参加いただいて、このフォーラムで是非意見を出していただくようにお願いしてきました。もちろん関心を持たれる一般の方もご参加いただきました。

ということで、今の武者小路さんの発題をうけて、ご意見、ご質問をどんどん出していただければと思います。

 

(参加者)

あらゆる差別をなくすという考えで活動しています。とくに目や耳の不自由な方、ろうの方たちが、世界人権宣言で教育を受ける権利があるとされているにも拘わらず事実上ないことに焦点をあてて人権の底上げをする、そういう立場で活動しています。そして、いろんな差別と闘うことを考える時に、私はアインシュタインの光より速く飛べる星はないという理論を越えなければならないと考えています。光より速く飛ぶ星はあると。こういう立場で望む必要がある。

アイヌ民族の言葉で「カムイケコット」という言葉があります。これは神様が生まれたときに押した手形として、縁起がいいと考えられています。カムイケコットはメラニン色素、黒色色素で、アフリカからもらっているとされています。人類はアフリカから来ている。カムイケコットはすべての民族に出ます。白人にも出ます。ただその出る確率が違うだけです。だから直系のアフリカの方に対して私たちは傍系、白人はさらに傍系でしょう。我々はカムイケコットでつながっている親戚であるという考え方が平和を実現するときにキーワードになるのではないかと思っています。

 

(参加者)

在日朝鮮人です。『朝鮮人「従軍慰安婦」問題を考える会』という関西在住の「在日」で立ち上げたグループでずっと活動をしています。被差別部落の女性や沖縄の女性、関西在住のアイヌの女性とつながっていこうということで3年前に尼崎で女性フォーラムがあったときに、それがご縁で一緒に学習会をしています。今年の4月から被差別の女性のための相談電話ということで、在日朝鮮人の女性と被差別部落の女性がスタッフとして少数で週一回相談電話を受けつけています。私も95年の北京会議に並々ならぬ思いで、バックに組織もまったくなく、自分たちでビザをとって、大変な思いをして参加しました。

どうして参加したかったかというと、クマラスワミさんが参加して日本へのきちっとした補償をもとめるという波をつくっていくという大事な会議だったことがあります。特に在日女性は、この「慰安婦」問題によって非常に声が挙げやすくなったし、在日の中の女性問題についても声を挙げるという仲間がたくさん出てきました。この「慰安婦」問題を通じて、在日が置かれている状況や特に女性が置かれている立場について、きちんとものを言っていきたいという要求、熱情にかられて、かなりの数の在日女性がこの会議に参加しています。私たちはビデオをつくってクマラスワミさんに手渡して啓発していくというようなことを考えて行きました。東京の在日の仲間たちは沖縄の慰安婦の問題など、日本国内に残っている「慰安婦」問題などの検証や、在日女性の置かれている状況などを分科会で発表しました。

そういう形で在日の女性たちがはじめて組織をバックにもたずにNGOとしてたくさん参加していたのが北京会議です。その前のウイーンの会議で下地を作ってくれていた在日女性がいて、この北京会議にも是非行こうということで行ったのですが、参加するにあたっての準備が大変だった。行ってすごく意義はあるし、いろんな場面で私たちの問題を訴えていける、そしていろんな変化を肌身で感じたり、世界の女性たちが集まってきますのでいろんな情報交換ができてすごくおもしろかったのですが、やはり会議参加にかける労力というのはたいへんなもので、地道な活動をしている人はなかなかできません。かける労力を考えれば、今後このような会議に参加するかどうかを考えたら、地道な活動のほうを優先するほうにどうしてもいってしまう状況があると思います。かといって世界会議を無視はできない、すごく気になります。どんな話がされているのかというところで日本政府が非常にいやらしい巻き返しをその後していますので、その意味でも注視していました。

この北京会議で出会った女性のなかでもアフリカの女性であるとか、いろんな国の参加者が、お金のない大変な状況のなかで、それこそ片道切符できて、自分たちの作ったものを売って帰りの飛行機代にするとか、お鍋をもってきてお米をといて食べている状況を目の当たりにして、私も見識を新たにしなければと思いながらも、日々の活動に追われていました。

つい最近、反差別国際運動(IMADR)にお世話いただいて、インドのダリット女性の運動家のファティマさんに、私の関わる小中学校や「解放学級」に来てもらって交流する機会をもてました。彼女が言うには自国政府に対していろんな働きかけや活動をしているけれどなかなか前進しない。そんな中で世界会議に行かないとなかなか自分たちの活動が保障されないという気持ちで、かなりの人数の女性を世界会議に参加させたいと、非常に強い意欲をもってこの世界会議にかけているという立場にも大変触発されました。

ということで、いろんな運動をしている人々と、ヒューライツ大阪のスタッフのように常駐で反差別の活動ができるような人たちが連携をとって、私たちの声を届ける必要があるのではないか。実は私も南アフリカの世界会議に行きたかったけども、結局いけなくなりました。女性の複合差別についての国際会議を日本でできないかと考えていますし、今後、会議だけではなく世界の女性たちと連帯、交流することはできないかと考えています。ファティマさんは、時間があればインドの自分のところにきて活動を一緒にしてほしい、そういう交流をしていきたい、とおっしゃっていました。是非そういう活動を実現していきたい。日本でちまちまやっていると、石原発言などを考えたら、いつまでこの日本社会で生きやすく生きれるのだろうかという強迫観念のようなものを持たざるを得ません。ついついいやになってしまって、めげてしまって運動の成果がなかなか積み上がらない。すごくしんどい。だから、先ほど、「塹壕戦」だとおっしゃってましたが、まさしくその通りと思います。世界的な連帯のもとで大きい波を作っていく、協力の輪をひとつでも多くしていくことで、反差別の仲間を増やしていきたいと思っています。

運動のつながりの中で、一つうれしいこともありました。私たちは日本の性暴力を撤廃する地道な運動をする女性たちとつながっています。「慰安婦」の人たちが戦争中に「突撃一番」というコンドームで日本の兵士に犯されていた、その「突撃一番」という商品がリメークされて売られていたという事実が91年にわかりました。このコンドームは100%近いシェアをもつ大手の会社が販売していました。この会社は戦争中は小さな工場だったのが軍御用達になって大儲けします。戦後、会社は解体されますが、その後何倍にも膨れ上がって復興します。その理由が実は朝鮮戦争だった。戦争によって大儲けしている会社がまだまだたくさん日本にはあります。その会社に告発に行ったのですが、非常にいやらしいい言い方をされて、それでもめげずに2回ほど交渉に行きました。私たちが求めたのは「慰安婦」問題が浮上しているのにこういうことをした不謹慎についてせめて謝罪文を五大紙に出すこと、そしてたばこにも「吸いすぎは体によくない」という注意書きがのっているのだから、コンドームにも「望まない性行為は強姦だ」ということを書くぐらいはしてもいいのではと強く要求しましたが、一笑に付されました。くやしい思いをしていたところ、実はつい去年、戦後補償を考える大きな集会で、アメリカで戦後補償問題をやっているユダヤ人の弁護士の話を聞く機会があり、その時にこの話をしたら、ひょっとしたらアメリカで闘えるかもしれない、企業への告発としてはいけるのではないかと話がでてきました。そしてつい最近、韓国のNGOからこのパンフレットをほしいといってきました。どうしてかと聞くと、アメリカで裁判の準備をしており、一つの事象として取り上げたいということでした。私たちの告発にぜんぜん企業が反省しなかったという砂をかむような思いをした運動が一つ形になって成果となったと喜んでいます。

そういった意味でもいろんな人とネットワークを今後はつくっていかないといけない。内向きには日本の中の「被差別」と呼ばれている人たちが実は全然お互いのことをよく分からなくて、お互いに対しての理解もまだなかなかないという状況、これを何とか克服していきたいし、そしていわゆる「被差別でない」と呼ばれている人たち、そういうくくりも変ですけども、そういう人たちとの関係をどうしていくのか。立場性にこだわるべきところはこだわればいいんだけども、いつまでも立場性の問題ばかりにこだわっていてはどう手をつないで大同団結していくかという問題がありますし、世界的には反差別の視点で闘っているいろんな女性たちとどんな連合体をつくっていくかということ、それを私はこの日本の地から模索していきたいと思っています。いい知恵を貸していただければと思います。

 

(参加者)

一つ質問をしたいのと、感想を少し申し上げたいと思います。

アメリカは、植民地支配の補償問題やパレスチナの問題を取り下げない限り会議をボイコットするというような情報が日本の新聞でも若干紹介されました。ただ、私の聞いたところではメアリーロビンソン国連人権高等弁務官と南アフリカのどなたかがアメリカに行って、なんとか参加してほしいと話し合いをして、今の二つのテーマについては宣言や行動計画の中身を有る程度は和らげるという約束をしたと聞いています。アメリカとの話し合いの一番新しい動きはいったいどうなっているのでしょうか。それから、ヨーロッパは同じ問題についてどういう態度をとっているのでしょうか。それから日本政府はどうでしょうか。分かる範囲で教えていただけるでしょうか。それからアメリカのNGOはどうでしょうか。政府の見解とは違うと思っています。そのあたりをお聞かせ下さい。

感想について言いますと、私はたまたま別の目的で1983年にジュネーブに行った際に、ちょうど第二回目の人種差別撤廃世界会議が開催されていました。そのときの印象は、部落差別は全く話題になっていないということでした。アパルトヘイトがまだひどかった時代ですからアパルトヘイトが中心で、パレスチナの問題も論争になっていました。今回は3回目の会議だと思いますが、部落問題やインドのカースト問題などの身分差別の問題が、最終的にはどうなるかは別にして、あのときと比べるとはるかに関心の度合いは高まっていると思います。話題になっているのです。ダーバンにおいて、身分差別をなくすという観点から見れば、私は一つは今までにはなかったネットワークが生まれてきているのではないかと思います。部落解放運動やインドやネパールのダリット運動などが連携を作ってきている。もう一つはせっかく会議に参加するのだから、その輪を広げたいというか、アフリカにも同じような差別はあると言われていますので、フランス語の資料も準備して持っていこうと思っています。第二回目の世界会議に参加したときとの印象の大きな違いは、身分差別の問題を世界が関心をもって取り上げてほしいという国際的なネットワークが生まれてきているということ、それから話題になってきていること、これは一つ段階があがったのではと思います。それがどこまでいくかということはこれからの我々の努力によって変わってくるとは思うのですが。

 

(武者小路さん)

今、出していただいた三つの問題をつなげて、私なりのお答え、もしくは考えを述べさせていただきます。はじめの発言にあった、耳や目の不自由な方、ろうの方への差別の問題について、それらもダーバンで取り上げられます。政治問題や補償問題など争点となってる微妙な問題がありますので、ある意味ではあまり議論されないかもしれないけれど、別の意味ではちゃんと行動計画には出る、つまり他のところで喧嘩しているのでその他の大事な問題がうまく通るという側面が実はあります。

それから二番目にアフリカが人類の故郷であるというご指摘ですが、実はこのダーバン会議のもう一つの特色は、アフリカが植民地主義や奴隷制で一番苦労したなかでアパルトヘイトという大変過酷な人種差別を、少なくとも法律的には乗り越えたということで、とても模範になる側面をもっている。そのアフリカの方々や、さらにはアフリカに先祖を持っている南北アメリカ、カリブ海地域、その他いろんなところの人々の盛り上がりもまた強くなっています。そういう意味で、激しい差別がある一方、80年代、90年代に比べると、ご指摘があったように、はるかに人種問題への世界の世論というのは盛り上がっています。それを盛り上げているのは世界中の人々がグローバルにやっているのもそうですが、特にアフリカ系の人々が頑張っている。あるいは部落解放の運動とダリット解放の運動が連帯し、アジアの中からそういった問題が提起されるとか、単なるグローバルというのではない、地域的なネットワーキングがかなり出てきている。「塹壕をつなげる」といいましたけれど、つなげ方がだいぶ発展してきていると思います。

複合差別についてのお話を出していただきました。これもとても大事な問題で、反差別国際運動(IMADR)でも注目して、いろいろ教えていただいているところです。ダーバンの会議でも、女性にたいする差別とディセント差別も含めた人種差別との複合という問題について重点的に捉えることになっています。この問題も、みんながどこまでやるかについてはまた問題ですけども、例えばアメリカが反対とかどこかが反対というのではない、少なくとも原則、総論は賛成だとなっていますので、その点ではやりやすいと思います。ダーバン会議に参加する人と、現場で活動されている人との連絡、連携がうまくできて、ダーバンであったことを後でどう活かすかとか、あるいはアフリカの方々といったいどう連帯するのかなど、国連ではない現場での運動を横につなげていくことがとても大事になるのではないかと思います。

三番目の方のご指摘について、まず、私はグローバル化で「差別の国際運動」が強くなったと申しましたが、それを多少修正しまして、強くなった面があるけれども、同時に差別はいけないという世界的な世論というのも出てきて、それを無視することはできなくなっているという側面もあるとしたいと思います。塹壕戦で闘いながら、裏で交渉する必要も出てきているということになります。

ちょっと個人的なことに触れて話しますが、今度のダーバン会議の日本国政府の代表団の中に、NGOからアイヌ民族の代表と私が参加することになっています。これは塹壕戦の中で相手の方の塹壕にはいってしまいますので、今度は「諜報戦」になって、二重スパイの役を仰せつかったと思っております。日本国政府が、先住民族と認めていないアイヌ民族の人、それから解放同盟と近いところにいてディセント差別というのは人種差別の重要な構成要因であると常日頃主張している私を代表団に入れるということは、なんと申しますか、かなりの「譲歩」だと思います。しかし、NGOの代表が日本国を代表して外に向かって勝手なことを言ってもらっては困るということもやんわりと言われました。代表団の中で問題が出てくれば、我々はアイヌ民族が先住民族であること、それから身分差別は人種差別のひとつの重要なものであると主張するであろうということを伝えております。

考えてみますと、60年代だったら政府の代表団に私が加わったら、進歩陣営から見たら「身売り」をしたということで怒られたかもしれません。今でも怒られるかもしれませんが。政府とNGOが協力したほうが前進するかもしれないという側面と、それをあまりやりすぎると取り込まれてしまってだめだという二つの側面がかなり微妙な問題としてあります。

ダーバン会議でのヨーロッパやアメリカの立場についてのご質問がありましたが、実はスパイのくせにちゃんとした情報がとれておりませんで、国連の側からアメリカに譲歩するから出てこいという話をしているという噂は聞いておりますが、どういう形で進んでいるのかははっきり把握していません。また、メアリーロビンソンさんが勝手に補償の問題は引き下げますといってもそれは民主的な話ではなく、ダーバン会議の事務局長が勝手にそんなことを約束するのはかなり変な話で、ほんとにそんなことが行われたら、それこそロビンソンさんの責任問題にもなると思いますので、いったいどうなっているのかよくわかりません。

ただ、ヨーロッパは、補償問題についてはとにかく反対するという立場です。日本もそうですけども、会議に参加しないというのではなくて、議論するときにそれには反対するという立場です。今、ダーバン会議の行動計画の案(の案)ができていまして、7月の段階では3月の段階ではっきりしてなかった例えばロマの問題についてかなり長い記述があります。ということは、ヨーロッパの政府は、補償をする、金を出すという話になるとかなり反対、抵抗しますけども、ヨーロッパに人種主義的な問題があることは認める、それをダーバンでの行動計画に入れることには決して反対はしないという心の広さは持っているのではないかと思います。それが国益に反することになると反対しますけれども、ロマの問題を認めたからといってドイツが困るとか、フランスが困るとか、外交問題にはならないので、そういったところではヨーロッパはちゃんとしているということがあります。アジアのなかでは日本がもっとちゃんとしてくれればと思うのですが、インド政府のようにダリット問題を出してはいけないと派手に反対するように、例えば部落差別を出してはいけないとは言わないけれど、裏では、塹壕戦でいろいろとやってる。だからこっちも塹壕戦でやりかえさないといけないと思います。

 

(事務局)

ほかにご質問・意見はありませんか。

 

(参加者)

ある研究会を組織しています。コソボの爆撃の問題から、ヨーロッパ至上主義というか、ドイツの左翼、マルクス主義がそれを肯定しているということから議論になって、グローバリズムに対してはNGOのネットワークが対決の焦点になるのではということ、その場合にヨーロッパ中心主義、人権という概念がどこまで通用するかという問題が提起されています。日本人もヨーロッパ至上主義で来ましたから、日本のインテリゲンチャーは「人権、人権」という場合の人権概念が極めてヨーロッパ的で、ふたをあければカントが源流であってみたり、ヘーゲルが源流であったり、それを大学で講義している現状を考え直さなければならないという意見があります。普遍主義的な人権概念や、抽象論で「人権、人権」といっているけれど、アジア・アフリカにおける人権概念、あるいはイスラム世界の人権概念はどういう風に把握すればいいのか。また、それぞれの国や地域にそれぞれの人権があると認めると、これはまた相対主義になってしまいます。今までの抽象的な普遍主義や、抽象的な人権概念ではだめで、具体的にアジア・アフリカ、あるいは開発途上国を勉強しなければならないということで、研究を進めています。そのあたりのご意見を聞かせてください。

 

(武者小路さん)

私が一番関心をもっている問題を出していただきました。勝手なことを申しますのでご了承ください。まず第一に、市民主義というのが今とてもはやってまして、日本は民主化して、NGOやNPOの時代になったとか、あるいは国家はもうあまり大事ではなくて市民が世界を動かす、という考え方があります。だた、これは基本的に間違っていると思います。グローバル化した経済のなかで、市民はやはりグローバル経済の側か、あるいは差別されている側にたつか、どちらかにつかざるを得ない。その点で実はダーバン会議というのは、市民と差別されている人民とが大同団結できる可能性を含んでいる。つまり、人権問題については「人権が大事だ」ということを差別を受けている当事者ではない人々がいうことが大事です。そういう意味でアムネスティ・インターナショナルのような人権団体の存在はとても大事です。でもそれだけでは不十分で、当事者の団体、当事者がやはり中心でないといけない。それをどうするかという点では、国連の運動も非常に大事ですが、国連でそれがうまくできるには、実はそれぞれの国、それぞれの現場で運動が行われていないといけない。その点であえて申しますと、日本の女性運動はとても活発でいいのですが、マイノリティ、とくに日本国籍をもっていない女性の問題はあまり熱心でないという面があります。日本の女性運動が本当に育つためには、マイノリティのためだけの運動ではなくて、女性運動自身のためにも、マジョリティの女性とマイノリティの女性との連帯がうまくできていないと困る。そのきっかけにダーバン会議がなればいいと思います。日本から女性の国会議員がダーバンに行かれるときいていますので、行けばそういう問題を考えてもらいたいと考えています。

日本のNGOも80年代からたくさん出てきて、すごくいいことをするNGOがたくさんあります。当事者ではないが、インドに井戸を掘りに行くとか。これもとても大事なことです。けれども、どうして井戸を掘らないと水がでないのか、今のグローバルな経済、政治の仕組みがどう環境を破壊し、マイノリティを差別しているのかという理論を扱うNGOというのがあまりない。昔はマルクス主義の運動がちゃんとがあったのでよかったのですが、今は運動とマルクス主義が遊離してしまっているという状況があると思います。でも、その中で研究会があり、私も東京のある研究会では勉強させてもらっていますけども、理論と運動とのつながりについても何とかしなければいけないと思います。そういった意味で、ダーバン会議をきっかけとして、グローバル化がどう人種差別をつくり出しているのかという理論をつくる必要があるし、グラムシーにもう一回戻りますが、「塹壕戦」を戦うための理論をもつ必要がある。そこではある意味でマルクス主義が評判が悪くなったあと、悪くなったのはまったく根拠はないと私は思っていますけれども、今、かなりフェミニズムに期待があります。女性運動は、今のグローバル化に対する理論的な立場を鮮明にしています。フェミニズムの立場というのは、人権とか普遍的な概念を認めています。けれども人権はジェンダーの問題ということで、男性と女性の関係性としての人権を考えているので、本来の人権の個人主義ではない、個人主義的、古典的な、フランス革命の人権をはるかに乗り越えている。そしてむしろ、儒教とちょうど正反対ですけども、天と地のうちで、地の方が天よりも大事だという道教の考えとつながる可能性もあります。法律的には普遍的でないと困る、だから法律的には普遍的な人権法が大事です。しかしいろんな差別の問題を考えるときに、それと同時に、人権教育とか人権文化をつくるときには、もっと非西欧的な、あるいはむしろジェンダーの問題とか、文化的なアイデンティティの問題とか、階級とか階層とか、あるいは身分制とか、そういう問題をちゃんと把握して、その中でそれぞれ固有の問題を、ただ一般的に原則があるというのでなくて、それぞれの場合場合の差別を直接捉える必要があると思います。皆さんのお考えはわかりませんが、ある国際法の先生がおられまして、彼は西欧中心主義的な国際法に対して、「文際」ということを言っています。つまり「国際」ではなく、「学際」でもない、違った文化の間で橋渡しができるような国際法をつくる必要があって、とくに人権法はそうでなければならないと言っておられます。その考えにたって国家補償しなくていいという話になるとそれは困るのですけども、しかし、それぞれの文化を大事にするという、その考え方はかなり大事だと思います。

ダーバン会議のおもしろいところは、普遍主義は普遍主義なんですが、アフリカ民族とかアフリカにルーツを持つ人々の流れとか、歴史的な分析をして差別の問題を取り上げ、解決しようということや、その歴史の中で固有の文化とアイデンティティをもったものを大事にしようという可能性が議論されているといえます。だからまたそれを嫌う人たちが北の先進国のほうにいるわけですけども、そこにはおもしろい可能性があるのではないかと思います。

 

(事務局)

これまで、世界会議の担当として準備会議に出てきた中で、ここでされている国連会議が現場にどう結びついているのかというのが私のテーマでした。先日出た東京でのセミナーでパネリストの一人が人種差別撤廃条約の日本政府報告審査においてのNGOの働きかけを振り返って、エリートの取り組みであると感想を述べていました。自分はもっと一般の人々に広く知らせたいと言っていました。そこで、今日、このように話をしてきましたが、やはり国連の活動と現場とのつながりがわからない、国連の活動が遠く感じるといったご意見があれば出してもらえたらと思います。いかかでしょうか。

 

(参加者)

ヒューライツ大阪の事務局のスタッフです。日頃、世界会議にむけた仕事をしているなかで、今日のテーマを日常的に話しているのですが、世界会議についてヒューライツ大阪の役割は二つあると思います。一つは、アジア・太平洋人権情報センターというからには、アジア地域における人権、この世界会議に限っていえば人種主義をアジア・太平洋のNGOとのネットワークを活かして、いかになくしていくかということです。そしてもう一つは、単に国際的な場所でロビーしていくということだけではなく、足もとの問題をどうしていくかということです。ヒューライツ大阪は日本、とりわけ大阪にあって、やはり在日コリアンの人権に関わる方々、部落解放運動に関わる方々という足もとの人権運動に関わっている方々と一緒にこの世界会議を考えていこうという趣旨で今日のフォーラムを企画したわけです。

NGOの語る言葉というのがなかなか一般に理解されきれていないという話が出ましたが、私は別の観点から見て、国連の人権活動が日本の社会でまったく一般に語られていないかというとそんなことはないと思います。これまでも北京の女性会議であるとか、リオの環境サミットであるとかはかなりマスコミも宣伝していました。それ以外にも例えば、北京会議では行政の女性職員が参加したり、ある意味では草の根的な取り組みという側面がありました。

「人権教育のための国連10年」については国連の活動を受けて、日本では国の行動計画ができて、それを受けて、各都道府県でも推進本部や行動計画ができています。その中には、狭い意味での人種主義ということで言えば、外国人への差別をなくしていこうということも含まれています。この「人権教育の国連の10年」の流れがある一方で、国連の人種主義に対する取り組みに対してはまるでまったく別個のもののように語られているのではないでしょうか。「人権教育の国連10年」には非常に関心を示しているけれども、この人種主義・差別撤廃世界会議はまったく関心がなく、存在すら知られていないという、何か非常にちぐはぐな状態が生じていると思います。もちろん「人権教育の国連10年」についても国や自治体が主導したわけではなく、運動体が推進力となってきました。そういう意味では今回世界会議については運動も弱いという側面があるのですけれど、それでも何かあまりにもちぐはぐな状況があります。これは国だけの問題ではなく、自治体も取り組んでいかないといけない課題であるにも拘わらず弱いということで、世界会議自体は直前に迫ってしまいましたが、世界会議以降の課題として、世界会議の宣言や行動計画をいかに行政レベルで取り組んでいくかが課題になると思います。

そこで質問ですが、補償の問題、奴隷制、パレスチナ問題などのむずかしい政治的な問題を抱えていたとはいえ、今回の世界会議が、これまでの国連会議、世界会議と比べてどうしてここまで関心を持たれなかったのかというのを説明してもらえればと思います。

 

(武者小路さん)

いろんなことがあると思いますが、一番困るのは以下の問題だと思います。つまり、「人権会議」とか「女性会議」という場合は、テーマがはっきりわかるのですが、人種主義という場合、人種差別撤廃条約の範疇に入っている問題というのはいろんな差別があるわけです。けれども、一般に人種主義・レイシズムというと、これは日本だけではなくて、世界どこでもそうなんですけども、すぐに思い浮かべるのが、ユダヤ民族に対するレイシズムとか、アパルトヘイトのアフリカ系のいわゆる黒人の方々に対するレイシズムで、それらだけがレイシズムで、他の差別は関係ないと思われる。確かに人種ということになれば、アイヌ民族と日本民族、さらには、朝鮮民族や漢民族と日本民族は同じ人種だし、他の差別は全部入らないことになってしまうわけです。

しかし、人種差別撤廃条約はもっと広い範囲の差別を含んで「人種差別撤廃」を主張しているので、ダーバン会議もそのために開かれるのです。それを理解していれば、いろんなマイノリティ、差別されている集団が一生懸命やるべき会議ということになるのですが、残念ながらそこのところが十分把握されなくて、「差別」を中心にいえばもっとぴんとくるのかもしれませんが、「反人種主義」という名前が目立つためにちゃんと理解されていないというのが一番大きな理由ではないかと思います。

 

(事務局)

どうも有り難うございました。時間の都合もあり皆さんには迷惑をおかけしました。

大阪からは世界人権宣言大阪連絡会議で団を組んで9人がダーバンの世界会議に参加します。日本全体では70〜80人くらいがNGOから行く見込みです。ヒューライツ大阪では引き続き情報の収集と発信などを通じて、みなさんに役に立てるように頑張っていきたいと思います。世界会議ではなく、世界会議以後が大事であるという観点で、報告会など事後の活動・取り組みを行っていきたいと思います。

武者小路先生、今日は本当に有り難うございました。

これで、フォーラムを終わります。

(終)


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