反人種主義・差別撤廃世界会議報告会
「ダーバン会議をふりかえる。そしてこれから・・・」
10月25日(木)午後6:45〜8:30
ヒューライツ大阪セミナー室
内容 |
(1)スライドを使った世界会議の様子
(スライドを使って世界会議の様子を駆け足で紹介した)
写真の一部は「ダーバン写真集」で参照いただけます。
(2)門地差別に反対する取り組みに関して
(部落解放同盟中央執行委員、谷元昭信さん)
ダーバンでの世界会議は多様な取り組みが同時進行で行われたため、全体の動きが見えにくいという印象があった。
部落解放同盟では、1983年に国連人権小委員会ではじめて部落差別について国際社会に訴え、国際活動を始めた。その際、同じくジュネーブで第二回人種差別撤廃会議が開催されており、私たちは急遽、その場でも部落差別をアピールすることになった。許可なくビラをまいたことで注意をされたりした。
その後、国際運動を進めるにあたって、国連との協議資格をもつ必要性を感じ、反差別国際運動(IMADR)を設立し、1992年に協議資格を得た。
部落解放基本法の制定運動の中には、人種差別撤廃条約の批准への働きかけが含まれていた。その批准の実現には少なからず部落解放運動の力が働いたことを自負している。批准推進運動が展開され、日本政府は1995年、村山連立政権のもとで、世界で146番目の締約国となった。
この決定の際には外務省と解放同盟の間で一つの論争があった。外務省としては批准に後ろ向きであった。それは差別の法的禁止を避けたいこと、表現の自由に触れてしまうことを嫌ったことが理由に挙げられる。また、個人通報制度は政府としては困るので最終的には留保されている。
人種差別撤廃条約で規定されている人種差別の中の「ディセント [descent](世系または門地)」の定義をめぐる論争がある。部落差別が「ディセント [descent]」に含まれるかどうかである。外務省は対象にならないとした。現在も同じ見解である。結局、結論が棚上げされたまま条約に加入した。
ダーバンでの会議では、1)奴隷制・植民地支配と補償問題、2)イスラエルのシオニズムと中東問題、3)職業と世系(門地)にもとづく差別の問題、4)人身売買、外国人労働者差別、少数民族への差別の4点が主な争点であったと考えている。
ダーバン会議の前には、国連人権小委員会においてグネセケレ報告が提出され検討された。この報告は昨年の人権小委員会の「職業と世系(門地)に基づく差別の決議」に基づくもので、決議ではこれらの差別が国際人権法によって禁止された差別であると指摘した。グネセケレ報告では、1)「職業と世系に基づく差別」は、世界の多くの社会で長年続けられてきた慣習であり、世界人口の大きな部分に影響を及ぼしている、2)インド、スリランカ、ネパール、日本、パキスタンに存在していると指摘し、アフリカ、南アメリカの一部にも存在している様子で、それらを調査する必要がある、3)最終意見として、これらの侵害が処罰されずに放置されないよう積極的な行動をとるよう努力するのは当該国家の責任である、と指摘した。
また、世界会議直前に行われた社会権規約委員会による日本政府報告書への最終所見では、23項目の懸念を含む31項目の勧告が日本政府に対して述べられた。勧告の中で同委員会は、1)1991年のパリ原則に一致した国内人権機関を可能な限り早期に設置することを促し、2)部落の人々、沖縄の人々および先住民族であるアイヌの人々を含む日本社会のあらゆるマイノリティ集団に対し、とくに差別と闘うため、引き続き必要な措置をとるよう勧告し、ILO第105号条約(強制労働の禁止)、第111号条約(雇用と職業の平等に関する)、第169号条約(先住民族の権利に関する)の批准を求めた。
ダーバン会議では、NGOフォーラムの宣言と行動計画において部落差別が言及された。
宣言では、「日本の部落の人々に対する職業と世系に基づく差別は、400年以上存在してきた。そして、今日も、結婚や就職、教育に関連した差別、差別的な宣伝や煽動などの新しい形態の差別が、とくにインターネット上で出現し、300万以上の人が差別を経験している」と述べられた。
行動計画では、「日本政府による時限的な"特別措置"の実施にもかかわらず、彼・彼女らが継続的に直面している差別の性質と範囲を明確にし、そのような差別をなくすためにすべての必要な法的、行政的およびその他の措置をとるために、日本の部落の人々の状況の調査をおこなうこと」としている。
政府間会議では人権問題が政治的なかけひきに使われた。「職業と世系に基づく差別」を取り上げる段落を提案したスイス政府にはアメリカ合衆国からの圧力がかかったため、スイス政府は提案を取り下げた。この背景にはインド政府のアメリカ政府に対する働きかけがあった。インド政府は、アメリカやイギリスの嫌う植民地支配や奴隷制の問題をインド政府が取り上げない代わりに、自らが避けたいカースト差別を避けるようにアメリカに働きかけたのである。
ダーバン会議の結果をどう評価すべきか。評価は分かれているようだ。私は日本の課題とどう結びつけていくかを考えたい。今回のダーバン会議では、世界会議に対する日本の人権NGOの戦略不足を感じた。20世紀においては人権を標榜するだけで先進的とされたが、今ではそれは当たり前であり、そこからさらに具体的政策を提示していくことが求められているのではないか。
例えば、今回の争点の一つとなったシオニズム(ユダヤ人のパレスチナ回帰運動)の問題を日本の課題としてどう引きつけたかを問いたい。シオニズムとは2000年前に奪われたユダヤの地を取り戻すという考えだ。そしてイスラエルではその方法論として軍事的な行動をとっている。それでは、日本の北方領土返還運動はシオニズムとどう異なるのだろうか。植民地支配の問題もまた同じで、ヨーロッパ諸国の問題だけではなく、それは、朝鮮、台湾などアジアへの侵略をした日本の問題でもある。
(3)世界会議の全体的な報告
(ヒューライツ大阪、藤本伸樹)
この世界会議は正式には、「人種主義・人種差別・外国人排斥・関連する不寛容に反対する世界会議」という長い名称である。実は、ほとんど知られていないが、世界会議の開催にちなんで、国連は今年2001年を「人種主義・人種差別・外国人排斥・関連する不寛容に反対し力を合わせて行動する国際年」と定め人種差別撤廃に取り組んでいるのである。
1)世界会議は南アフリカ共和国の港町ダーバンで開かれた。会議は3本の柱から成り立っており、それらがほぼ同時並行で行われた。まず、8月26〜27日に世界各地から青年が集まって差別撤廃を話し合った「青年サミット」、そして8月28日〜9月1日に、NGOフォーラム、さらに8月31日〜9月8日には政府代表や国際機関が集まって、世界会議の本会議ともいうべき政府会議が開催されたのである。
2)会議の意義および対象
非常に幅の広い差別の課題を対象としたものであった。たとえば、(a)過去の植民地支配奴隷制、(b)冷戦終結後の民族紛争、先住民族やマイノリティに対する差別の激化、(c)移民・難民、人身売買の増大と外国人排斥、(d)グローバル化がもたらすマイナス要素などで、これらをどう認識しどんな行動を起こしていくかについて、政府や国際機関、NGOが討議したのであった。
3)反人種差別を目的とした世界会議は、1978年と83年に次ぎ今回で3度目であった。最初の2回の会議の主題は、南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離政策)の撤廃をめざしたものだった。今回は、人種差別の原因、形態、被害者、予防・教育・保護、効果的救済・補償、国際協調などについて話し合い、差別撤廃に向けた新たな行動計画作りを行うという目的を掲げていた。約1年半の準備を経て開催されたもので、参加者は163カ国から政府代表が2300人、NGOが4000人以上集まった。
4)NGOフォーラム(8月28日〜9月1日)
政府会議の議論に影響を与えるために、政府会議の開幕に数日先立って開かれたNGOフォーラムは全体会、テーマ別会合、シンポジウム、展示ブース、文化イベントなどが同時並行で行われた。終了時には、193段落からなる宣言と280パラグラフからなる行動計画が採択された。その内容を一言で言えば、過去から現在に至るまでの人種差別の被害者の救済・補償・再発防止を提言したものである。
5)政府間で討議された本会議(8月31日〜9月8日)
政府会議には会議の流れを左右した二つの大きな争点があった。ひとつは、15世紀に始まる植民地主義・奴隷貿易に対する謝罪と賠償の問題であった。もうひとつは、イスラエルとパレスチナの問題であった。パレスチナやアラブ諸国による「イスラエルは人種差別国家」「シオニズムは人種主義である」という強い主張があった。全体としてこれを支持するムードが高まったとき、アメリカとイスラエルの代表団は抗議して会議から引き揚げてしまったのである。
この2点が争点となり、合意のないまま、会期が1日延長となった9月8日の最終日に宣言と行動計画の採択へと持ち込まれたのである。ただし、文章の校正や編集に時間を要しているのか、10月25日現在でも正式には未発表である。
この2つの課題は、各国の利害対立によってもめたあげく、次のような内容で採択された。
植民地支配と奴隷制は、「人道に対する罪であったことを認める」とするにとどまり、当初主張されていた金銭補償には言及されなかった。
また、パレスチナ問題は、「外国の占領下にあるパレスチナ人の苦しみを憂慮する。パレスチナ人民の奪うことのできない自決権および独立国家を認めるとともに、この地域のイスラエルを含むすべての国家の安全保障を認める」という内容に落ち着いた。
6)会議で議論されたアジア・太平洋地域に関連した課題
(a)職業と門地(世系)に基づく差別の観点からインドを始めとするダリット(被差別カースト)の差別撤廃の課題が植民地主義とパレスチナ問題に次ぐ争点となった。
(b)先住民族に関しては、ラテンアメリカを始めとして、世界各地からの参加者があり活発な議論が行われた。しかし、政府会議の宣言や行動計画に、先住民族は人種主義の主な犠牲者だと認められたものの、宣言のなかに自決権が先住民族にはそのまま適用されないという意味の文言が採択されてしまった。
(c)移住労働者に関しては、アジア諸国は受入れ国がある一方で、送出し国も多い。この世界会議では、これまでほとんど問題にされなかった家事労働者も人種差別の被害者だと認定され、その権利保護について初めて言及された。
(d)難民問題も議論された。チベット、ブータン、ビルマ(ミャンマー)などからの難民当時者が参加していた。その中には多くの女性の参加者もあったのだが、アフガン難民、とりわけ女性の姿はなかった。ただ、国連承認の北部同盟は政府代表として参加していた。
また、(e)植民地主義の補償、(f)女性や障害者に対する複合差別、(e)差別を防止するための人権教育(「人権教育のための国連10年」1995-2004年)などもアジア地域に関連した課題であった。
7)日本政府の対応
日本からの参加者は、NGOサイドは約100人と多かった。一方、政府代表団は、ヨーロッパなどは外務大臣クラスも多かったなかで、日本政府は、外務省と南ア駐在外交官など15人で対応したにとどまった。そして宣言や行動計画の作成委員会では一度も発言せず、存在感がなかった。ちなみに、2001年3月にジュネーブで行われた国連人種差別撤廃委員会の日本政府報告書の審査の際には、日本政府の関連省庁から17人が参加しており、8月21日の社会権規約委員会での審査には、関連省庁から21人の政府代表団が参加していたことと比較すると、この世界会議に対する政府の姿勢は消極的だった。しかも、外務省は世界会議に関してホームページに一言も掲載していないなど、日本政府がこの会議にどこまで真剣に取り組んできたのか疑わしい。
8)世界会議の議論を通して浮かび上がった日本の課題
(a) 部落差別:職業と門地(世系)に基づく差別
(b)韓国と北朝鮮政府代表は、戦時性奴隷や歴史教科書の問題に関して全体会で日本政府の姿勢を名指しで批判した。戦時性奴隷および朝鮮人、中国人の強制連行、強制労働も植民地主義や奴隷制に該当するはずだが、日本はそれらの行為を「人道に対する罪」であったと認めていない。
(c)アイヌ民族に対する差別:後に謝罪が行われたとはいえ、7月2日に平沼経済産業相「日本ほどレベルの高い単一民族でなっている国はない」、鈴木宗男議員「アイヌ民族は同化されている」とういう発言にみられるように、政府高官による差別的な発言が行われた。
(d)在日コリアンをはじめとする外国人住民(移住労働者、難民申請者を含む)に対する差別
(e)複合差別:ジェンダーと人種主義の交差
(f)「人権教育のための国連10年」(1995-2004)の推進
(g) 21項目におよぶ国連人種差別撤廃委員会と、54項目におよぶ同社会権規約委員会による日本政府に対する懸念と勧告を真摯に受け止め実行すること。
(h)差別禁止法の制定
世界会議の宣言・行動計画は、国際条約と異なり、拘束力こそないものの、国際的合意であることから、日本においても誠実な履行が求められている。
9)国境を越えたNGOの連携
日本のNGOが多く参加して、会期中、日本政府代表団との情報交換を定期的に行った一方で、日本政府の代表演説の内容の不十分性に対して、反論声明を発表した。
今回、アジア・太平洋地域からのNGOとの連携も活発に行われた。例えば、反差別国際運動(IMADR)、同日本委員会(IMADR-JC)や部落解放同盟とインドのダリットの組織が協力して政府会議に働きかけるためのロビー活動を活発に行った。また、世界会議の準備をNGOサイドから積み上げてきたアジア地域調整委員会のもとでの情報交換なども行われた。
10)世界会議の成果と今後の課題
世界会議のプロセスは、差別の歴史や現実を認識し、撤廃していくために合意することがいかに困難であるかを物語っている。結局、会期は時間切れとなり、最後は多数決によって紛糾した課題の審議が打ち切られ、懸案事項は一括して削除されてしまった。
しかし、これまでの国連の諸会議では正面きって一度も議論されたことのなかった奴隷制・植民地主義という過去を、「人道に対する罪」だと認めたのである。
世界会議で行われた忍耐強い議論が幕を閉じた直後の9月11日、アメリカで同時多発テロが起き、その1ヵ月後に軍事報復が始まった。武力によって、会議の成果も大きなダメージを受けた。
世界会議は世界から様々な差別をなくしていくための「長い道のりの一歩」であったに違いない。今後、各国政府や国際機関は、その具体的な施策を行うという役割を担っている。そして、市民社会(NGO)は、それをモニターし、実現に向けて積極的に関与していくというフォローが求められているのではなかろうか。
(4)質問、意見交流
(質問)アメリカの先住民問題に関連してアメリカの先住民族のグループがどんな発言をしていたか。特に土地の権利の問題。また、日本のアイヌのグループはどうか。
先住民族の問題は大きなテーマの一つだった。これまでにも国連などで議論が積み重ねられてきて、ダーバンにおいても非常にレベルの高い議論が行われていたと思う。南米の先住民も多数来ていて、スペイン語が多く飛び交っていた。全体会でリゴベルタ・メンチュウさん(ノーベル平和賞受賞者・マヤ民族)も発言していた。先住民族には集団的な自決権が適用されないという宣言の文言をめぐり、NGOは削除を強く求めていた。
(質問)アフリカ諸国のなかには独裁国家があるが、そのような国からNGOが参加して問題を訴えていたのか。
現地に住む日本人の話を聞く機会があり、その人によれば、アフリカ系アメリカ人は多かったが、アフリカで開催されたイベントだったにも拘わらず、アフリカの人たちが少なかったのではないかと感じたという。アフリカ諸国は世界会議で補償の問題を訴えていたが、これは債務帳消しとも関連している。つまり重債務貧困国の大半がアフリカに集中し、債務帳消しを訴えていくという点で政府とNGOの意見が一致し、今の債務は過去の奴隷制と植民地支配に起因するという主張がある程度共通していたようだ。
(質問)ネパールでのカースト差別の状況についてどう話されたか。
インドと違って、ネパールにカースト差別があることがあまり知られていない。ネパールではインドのようなリザベーション制度(被差別カーストにたいする雇用枠や学校入学枠の割り当て)がない。インド、ネパールの差別状況は本当に過酷だと感じた。
インドもネパールも法律的には差別はしてはならないとなっている。しかし、社会的な慣習としてきつい差別がある。特にインド社会はそうである。そしてインド政府はカースト差別を認めたくない。憲法や法律で差別を禁じているとしている。現実に大統領になっているではないかという主張。今回、ネパールのダリットの方もIMADRのワークショップに参加した。現実はまだ非常に厳しい様だ。
(質問)職業と世系に基づく差別に関して、インドやネパールなど各国内の差別に対する取り組みに対して、ジェンダーも含めて差別に注意がされているが、国外の、例えばイギリスにおけるインド人コミュニティでのカースト差別については対処されていないのではないか。ダーバンでは例えばイギリスなどのそんな被差別グループが参加していたか。
参加していなかったのではないか。ダーバンも人口の30%がインド系である。インドや南アジアから離散して他国に移り住んだ人々の社会の中でもカースト差別があるとされている。ヒューマン・ライツ・ウォッチの作成した文書ではそれが報告されている。イギリスやアメリカ、マレーシアなどのインド系社会でカースト差別がある。
ダーバンではダリット差別の撤廃をアピールするためインドから200人もの人々が参加していた。しかしダーバンに多いインド系の人々は、カースト差別は認識しているものの、特にダーバンでの取り組みへの関わりはなかったと思う。マレーシアでもカースト差別が存在しているが、法的措置までは至っていない。南アフリカでは人権侵害に対処する人権委員会があるが、インド系社会の人がどう関わっているかはわからない。
(意見)
世界会議で扱われる問題がグローバルであったため、北京女性会議や人種差別撤廃委員会の日本政府報告書審査の時に比べて、在日コリアンの世界会議への関わりが弱かった面がある。(反差別の連合について、)在日コリアンの運動の中でも他の差別と重ね合わせる発想の必要性について声が出てきている。例えば、連帯して差別禁止法なりの法体系をつくっていけないかや、旧植民地出身者の人権をはじめ、より普遍的な外国人全体の人権を守るための法体系をつくっていけないかなど。
(意見)
今後のNGOもしくは市民の役割として、国内での政策提言と世界に発信する政策提言の両方が求められるのではないか。世界への発信では、例えば、部落解放運動が住宅や教育の運動であげてきた成果などは、他国の運動が知りたがっている。これらの知的財産を国際化させる、発信していくことをプログラム化すべきだ。
国内では、人権委員会(国内人権機関)ができようとしている。いまのままでは法務省の天下り先として「国内統制」の機関となるだろう。また国の防衛という点では小泉首相が基本的人権の制限を言い始めた。これまで人権の救済が強調されてきたために、国内人権機関に対する期待も「助けてもらう機関」と認識されてしまっている。そうではなく、市民がつくっていく機関にしなければならない。市民が参加し、市民に公開された機関とならなければならない。市民、NGOの側がイニシアティブをとらなければならない。
当日資料
・世界会議報告(全体)
・NGOフォーラムの宣言と行動計画 概要
・門地差別に関する取り組みの報告(谷元さんレジュメ)
・日本政府・韓国政府・北朝鮮政府スピーチ原稿
・日本政府スピーチに対するNGOの共同声明
・日本政府代表団名簿
・世界人権宣言大阪連絡会議参加団報告書
(コピーの必要な方は、ヒューライツ大阪まで連絡ください)